運行開始から25年、新幹線「のぞみ」誕生秘話 筆者だけが知る、試乗会に現れた「あの人」
公式試乗会から5日後の3月14日、下り一番列車の「のぞみ301号」は東京駅を発車した。当時の新幹線は東京―大阪間の飛行機に対抗するうえで、スピードアップによる所要時間の短縮が急務であった。このため、名古屋と京都を通過するという、俗に言う「のぞみの名古屋飛ばし」が行われることになった。これにより東京―新大阪間を新横浜以外無停車で運転し、所要時間2時間30分で結んだのである。だが、これには名古屋の経済界、マスコミ、乗客からも批判が相次ぎ、1997年11月29日には「名古屋飛ばし」の列車はなくなった。
この300系による新列車の命名は、当初「スーパーひかり」が有力視されていたが、JR東海では「きぼう(希望)」に内定していたという。
なぜ「のぞみ」になったのかには、こんなエピソードがある。エッセイストで「のぞみ」列車名決定の際に委員を務めた阿川佐和子さんが決定当日の朝、父であり鉄道に造詣が深い作家阿川弘之さんから「これまで列車名は大和言葉で名づけられてきたいきさつがある。『希望』を大和言葉にすると『のぞみ』」とアドバイスを受けた。それを命名委員会で進言したことから「のぞみ」が採用されたといわれている。
ちなみに阿川弘之さんは「つばめ」を希望していたとか。
「撮り鉄」の対象になりはじめた新幹線
「のぞみ」に使用された300系電車は東海道新幹線のフルモデルチェンジ車として初の時速270キロ走行の車両として開発されたが、その前身は1988年ごろの次世代新幹線「スーパーひかり」構想だった。JR東海内に「新幹線速度向上プロジェクト委員会」が設置され、1990年にはJ1編成といわれる300系322形式電車が量産先行車としてデビューした。
その頃は、それまで鉄道ファンの趣味の対象にはなりにくかった新幹線が、ようやく「撮り鉄」の対象になってきた時代でもあった。J1編成は鉄道ファンやわれわれ鉄道写真家の間では「スーパーひかり編成」と呼ばれ、独特の大型パンタグラフカバーを搭載し、前面の左右が「ほっぺた」を膨らませたようなキュートなスタイルで人気者になった。のちに若干のマイナーチェンジを行い、このスタイルが300系量産車として「のぞみ」に使用されることになった。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら