鹿島臨海鉄道、「旅客も貨物も輸送する」経営戦略 工業地帯とともに発展、工場夜景ツアーが人気に
県は1961年に鹿島臨海工業地帯造成計画といういわゆるマスタープランを作成。これによると、開発区域は鹿島町(現・鹿嶋市)、神栖村(現・神栖市)、波崎町(現・神栖市)にまたがる約2万ヘクタールで、10万トン級の船舶が入港できる堀込式港湾を中核とし、周囲に約3300ヘクタールの工業団地を造成するというものだった。また、工業地帯への原料や生産品の輸送のために国鉄鹿島線とともに鹿島臨海鉄道鹿島臨港線の建設も計画された。
工業地帯の重要インフラは、まず鹿島港が1969年8月1日に開港。鹿島臨海鉄道については、鹿島臨海鉄道の社史によると1969年4月1日の会社設立後、7月21日に鹿島臨港線の北鹿島―奥野谷浜間で地方鉄道事業免許を取得し、翌年の1月17日に着工している。同年の8月20日に国鉄鹿島線の香取―北鹿島間17.4kmが開業。その約4カ月後となる11月12日に、鹿島臨海線が開業し国鉄との貨物輸送を開始した。
当初、非電化路線だった国鉄鹿島線は開業から4年後となる1974年10月26日に直流1500Vにより全線が電化され、貨物列車は北鹿島駅まで電気機関車による運行となっている。
当初は車扱貨物がメイン
鹿島臨港線は開業後、主に2軸貨車により運行されていた車扱貨物がメインで、同社によると開業の1970年から5年程度は、農産品(飼料原料)、化学薬品、石油(一般)、鉄鋼、鉱石といった品目の輸送が多く、貨物の発送が到着の4~5倍程度多いのが特徴だったという。さらに1977年から1983年にかけて、新東京国際空港(現・成田国際空港)向けのジェット燃料の暫定輸送を行っていた際には、この輸送が同社の貨物取扱量の6割を占めていた。
なお、このジェット燃料輸送の際には、地元への見返りとして、1978年から1983年まで鹿島神宮―北鹿島―鹿島港南間で旅客営業も行われた。しかし、鹿島臨港線内の神栖駅や鹿島港南駅が市街地から離れていることや運行本数が1日3往復と僅少なことから利用が振るわず、空港への燃料輸送のパイプライン完成に伴って鹿島臨港線の旅客営業は廃止されている。


















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