「当初は月に数足しか売れず…」。小さな靴下工場が挑戦し続けた「自衛隊のための一足」、いま「究極の五本指ソックス」として支持される理由
それでも同社は地道に営業活動を続け、ライブのリストバンドや引っ越し業者の従業員の靴下などを手掛けた。ただ、「早い、安い、上手い」が求められるOEM事業は、同業者との仕事の取り合いになり、価格競争にさらされやすい。結果として、同社の事業は衰退していった。
当時、社長を務めていた亮滋さんは、その頃の困窮ぶりをうつむきがちに語った。
「出ていくお金よりも入ってくるお金の方が少なくなり、自己資金を投入して……。娘が家業を継ぐと言ってくれた時は、来月がどうなるかも分からない状況でした」(亮滋さん)
きっかけは阪神・淡路大震災での経験
会社が傾きつつある最中であっても、亮滋さんは挑戦することをやめなかった。自社で独自商品を作ろうとしたのである。その第一弾となる「ガッツマン」のルーツは、1995年の阪神・淡路大震災にあった。
亮滋さんが兵庫県の取引先へ見舞いに向かった時のこと。そこで、被災者のために働く自衛隊員の姿を目の当たりにした。
「学校の体育館にお風呂を設営したり、瓦礫を撤去したりされている姿を見て、『この人たちのために何か役に立ちたい』という強い思いが芽生えたんです」と亮滋さん。
だが、自衛隊とは何のコネクションもない。試しに地元の駐屯地などに「自衛隊員の靴下を作りたいです」と電話してみたが、「この人、何を言ってるんだ?」という反応で断られてしまった。
しかし数年後、転機が訪れる。会社案内として立ち上げていた自社サイトを見た現役の自衛官から一本の電話がかかってきたのだ。
その自衛官は、長距離の行軍(こうぐん:100km程度を歩く訓練)中、靴下に穴が開き、マメができてリタイアしてしまった経験があると言い、「今回はリタイアできないから、とにかく丈夫な靴下を作ってほしい」と切実に訴えた。
その自衛隊員が注目したのは、亮滋さんが手掛けた5本指ソックスだった。この靴下は1990年代頃から現場作業者に向けて細々と製造・販売されてきた歴史を持つ。
指を一本ずつ編み込んでいくため、普通の靴下を製造するよりも2倍から3倍の手間がかかる商品である。しかし、かつては「指つきで指先の靴下は健康にいい」として、健康関連商品としても注目されていた。
当時の同社は、ゴルファーや野球選手向けの5本指ソックスをOEM生産していたが、強度を追求すると履きにくくなるため、それほど強度にこだわった製品は作っていなかった。
そのため既存の靴下のいくつかをその自衛官に送るも、「これじゃダメです」と突き返されてしまった。亮滋さんは「それならば」と、強度と履き心地を両立させるために機械のシステムを見直し、試作を重ねた。
完成した名もなき「日本製の丈夫な靴下」は、自衛官に「これなら、長時間の行軍にも耐えられる」と喜ばれた。



















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