大学生のレポートで散見される「剽窃」や「思考の放棄」、AI時代に必要な「書く力」の育て方 「文章には正解がある」と誤解する学生は多い

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Bを取る学生は、与えられたレポート課題をプロンプト(指示文)にしてAIに文章を書かせて提出する。しかし、AやA+を取る学生は、まずはAIに書かせ、その文章を批判する論点を自分の頭で考えて盛り込むのだそうだ。

つまり大学生は、どんなにAIが発達したとしても、やはり自分の頭でよく考えて書くことが求められるということであろう。レポートや論文の執筆において、これまでと同様、独創性をもって、先行する情報の内容を超えることが求められるのである。

しかし、文章には答えがあると信じている学生は多い。AIに頼って「正しい答え」を書こうとする。筆者が16年にわたり担当してきた全学の1年生向けアカデミック・ライティング授業では、毎週、短い文章を書く宿題が出される。ほぼすべての学生がパソコンや携帯電話を持つようになった頃から、約1500人の履修者のうちの何十人もが同じ論点で文章を書いてくるようになった。

インターネット検索やAIを活用して書いているのだろう。複数のサイトから少しずつ文章を取ってパッチワークのようにつなぎ合わせた文章を提出する学生も少なからずいた。また、学生が示した参考文献に飛ぼうとしても、参考文献そのものが存在しない場合もあった。AIが示したものであろう。

こうした学生は呼び出して、「それは他人のアイディアを断りなしに盗む行為。剽窃をしてはいけない」と注意する。しかし、剽窃もさることながら、「自分の考えを持つ」「自分なりに考える」ことを放棄している態度は問題である。

体験から出発して“自分事”として書く

学生には、本気で社会や自分についての考えを練ってほしい。小学校、中学校、高等学校でもいえることである。

社会が今どのようになっているのか、現在の姿になるまでどのような経緯があったのか、社会を構成する誰にとってその問題は重要かなど、「社会を見る目」を培ってほしい。また、自分はどのようなことに興味があるか、自分のどの点をさらに磨きたいか、自分が他者に貢献できるところはどこかなど、「自分を見る目」を培ってほしい。

さらに、両者が交差する点を見極められたらよい。自分は社会のこの点を変えたい、自分はこの点で社会に貢献したいという意思を持つ。“自分事”として社会や自分を見る目を持ち、社会と自分の関わり方についての考えを持って初めて、学生たちは志を立てて社会へと羽ばたくことができるだろう。

ゼミ生には、卒業論文の全章を書き上げた後で「はしがき」を書かせている。あるゼミ生は、「知識を活用する」という教育内容について日本とスウェーデンを比較する研究を行い、「はしがき」に次のように書いた。

「高校までは定期テストや入試に必要な知識をとにかく詰め込むことに注力した。しかし、ありったけの知識を詰め込んで大学に入った先に待っていたのは答えのない中で正解を見つける難しさだった。求められているのは知識ではなく、その知識を基に自分はどう考えるかだった。(中略)現在、日本は思考力・表現力を養うことを教育における大きなテーマとしている。私が自分なりに解釈すれば、この思考力や表現力を習得する究極の目的は、自分のやりたいことを納得いくまで考え、実行することにあるのではないかと思う。自身のテーマを持って研究に取り組むという経験は自分の人生において重要なものであった」

この記述からは、自分の経験から問いを設定し、それを本気で追ったときに重要な気づきを得られたという喜びが伝わってくる。

学校では「体験・言葉・伝え方」をつなぎ合わせた指導を

人は、“自分事”として文章を書くことで「社会を見る」「自分を見つめる」ことができるようになる。だからこそ、児童生徒や学生には、1回ごとの文章執筆に、“自分事”として書くことに挑戦してほしい。「こんなことを書いていれば、合格点が与えられるだろう」ではなく、「自分が経験したあの視点から書いてみよう」「自分にしか語れないあの体験を基にして書いてみよう」と取り組んでほしい。

それまでの体験から自分が何を感じたかを振り返り、表現する言葉を探すことを出発点にすることで、文章には独自性が生まれる。日頃の友人との会話から感じた疑問、報道から覚えた違和感、自分が持ち続けているこだわり、こうした個の想いや意見を基にして文章を発想してよいのだと、児童生徒や学生には伝えたい。そうして初めてAIの作る文章を超える論点や視点が示せるはずである。

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