「ない袖は振れない」は本当か 貧しい人々から富裕層へ富を移転する「緊縮効果」という名の罠 「財政再建」の裏にある「不都合な真実」
しかし、本書の観点、すなわち経済危機(生産高縮小やインフレ昂進など)のみならず、資本主義の危機への応答として緊縮策を見るならば、その狂気の裏に隠れた一定の道筋が見えてくる。
緊縮策は、資本主義体制を防衛するための命綱なのだ。
看破できない「罠」
筆者が考える資本主義の危機とは、たとえば成長鈍化やインフレ昂進といった経済危機ばかりを意味するものではない。
資本主義が危機に陥るのは、その中核を構成する関係性(利潤を得るための生産・販売)と、それを可能にする二大支柱(生産手段としての私有財産と、所有者と労働者の間の賃金関係)が、大衆、とりわけ資本主義を動かす労働者からの挑戦に晒される時期に該当する。
こうした異議申し立ての一環として、人々は歴史的に社会制度の新しい形態を要求してきた。
実のところ、前世紀における緊縮策のもっぱらの効能は、そうした声をなきものにし、資本主義に代わる選択肢を封じ込めることにこそあった。
緊縮策のほとんどは、世論の反発や労働者のストライキの鎮圧において、しばしば宣伝される経済規律強化によって国の経済指標を改善させることによらずして、実にうまくいっている。
今日見られる緊縮策は、第一次世界大戦後、資本主義を崩壊から死守する手法として登場した。
政治でポストを得た経済学者は、社会のあらゆる階層を民間の資本主義生産に編入させるために、政策を「レバー」として用いてきた。たとえその変化が、不本意かつ個人の多大な犠牲を伴うものであったとしてもだ。
1920年代初頭、緊縮策は、戦後かつてない規模で暴発したストライキやその他の社会不安への強力な反撃として機能した。
緊縮策が発明された時期は、その生々しい動機を反映している。
その経済効果よりも意味を持つのは、労働者階級が前例なき社会組織化を行い、世論を扇動していたまさにその時期に、資本主義の生産関係を死守してきたことの中にあるのだ。
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