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自由主義者だった石橋湛山が、意外にも軍部に協力して朝鮮と香港で『東洋経済』を刊行した顛末とは?経営者と言論人の狭間で戦中を生き延びた

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『大陸東洋経済』の第1号において、石橋湛山は無署名の「創刊の辞」を執筆する。そして、『大陸東洋経済』の目的を『東洋経済新報』と同じく次の5点に置くとしている。

1.断じて営利を目的としない。
2.皇業翼賛を目的にしなければならない。
3.礼儀を重んじ品位を高尚にしなければならない。
4.世論を正しく導くため、できるかぎり各方面の資料と意見を集め、公正に紹介し批判する労をとらねばならない。
5.広く世界の情勢の推移に注意し、敏速かつ正確に読者に報告しなければならない。

「皇業翼賛」を挙げた第2項だけを見れば、『大陸東洋経済』は朝鮮総督府を筆頭とする日本の統治体制を報道において支援する雑誌ということになる。

一方でその他の4項目は、むしろ国民に提供する情報を統制し、戦争の遂行のために国威発揚の手段として報道機関を活用しようとした当局の意向から離れ、あくまで真実を公明正大に報道しようとする意志が示されていることが分かる。

このような「創刊の辞」の内容は、当局に配慮した誌面作りの姿勢を示しつつ、実際には独自の編集方針を維持しようとする意図を反映している。しかも、もし当局から他の4項が戦争の遂行や朝鮮半島の統治にそぐわないと批判されても、例えば皇業翼賛を目的とするから公明正大な報道が必要であるとか、皇業翼賛のためにも公正に報道しなければならないと釈明できる。

その意味で、第2項に「皇業翼賛」が記されていることは主体的な編集を実現するための巧妙な措置だった。

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