暑すぎて「プール中止」増、学校で水泳指導は不要?教員の負担も大でやるべきこと 命を守る教育と持続可能性の視点で再構築を
「きつい仕事を半強制的にボランティアのように毎日させられ、ミスがあれば責任も自分持ち」という、何とも納得のいかない作業を日々強いられているという実態が全国各地にあるのです。にもかかわらず、この問題がなかなか表面化しない背景には、実際にプール管理に携わった経験を持つ教員が圧倒的に少数であるという事情があります。
これからの水泳指導のあり方
では今後、水泳指導はどうあるべきでしょうか。私は、少なくとも4つのポイントがあるように思います。
第1に、水に潜む危険性を「知る」ことは、命を守るための教育の根幹です。着衣泳や簡易な救助技術など、水辺での自己保全に関する指導は、その意味で非常に有効です。ただし、ここで強調したいのは、泳力の向上それ自体が目的なのではなく、それはあくまでも「命を守る手段の一つ」にすぎないということです。
第2に、地域差を踏まえた柔軟な制度設計が求められます。海辺や河川が多く、水との接触機会が多い地域では、水泳の知識や技能が生活に直結します。
一方で、積雪の多い地域では、夏の指導機会が限られ、むしろスキーなどの冬季安全教育のほうが現実的かつ有効です。水泳を全国一律で必修とするのではなく、とくに中学校以降は地域や学校ごとの裁量を認める方向が現実的でしょう。
第3に、外部委託や中止といった選択肢も、視野に入れるべき時代に入っています。教員の人的リソース、安全管理、コストパフォーマンスのいずれを見ても、限界が来ている学校現場は少なくありません。現実に即して、「やらない」という判断が合理的であるケースも存在します。
とくに近年では、学年が上がるにつれて「水着になるのが恥ずかしい」と感じる子どもも増えており、肌を見せることに対する抵抗感が強まってきています。個人差や性への配慮が求められる中で、水泳指導を強制的に実施することが、かえって子どもたちの心身に負担となる場面も出てきているのです。
そもそも陸上で生活する以上、水泳はすべての人にとっての“必須スキル”ではないという認識が必要です。
第4に、これからの時代に不可欠なのが「ライフジャケットの普及」です。近年、水辺のレジャー中に子どもが命を落とす事故が後を絶ちません。こうした事故を防ぐためには、泳力よりもまず“備え”が重要です。
泳げるかどうかに関係なく、命を守る手段としてのライフジャケット着用は極めて有効であり、学校現場だけでなく、保護者や地域社会と連携してその重要性を広めていく必要があります。すでに一部の市民団体では啓発活動が始まっており、今後は行政レベルでの導入支援も期待されます。
こうした現実を踏まえるならば、もはや水泳指導を「当たり前」とする時代は過ぎつつあるのかもしれません。学校教育の役割とは何か、教員が背負うべき責務はどこまでか――。「水泳指導の見直し」は、教育の本質を問い直す格好の機会でもあります。
地域の事情に応じた柔軟な制度設計、教員への過重負担の軽減、そして「命を守る教育」としての新たな形の水泳指導。それらを教育の持続可能性という視点から再構築していく必要があります。
誰が・何のために・どこまでやるのか。それを丁寧に考えることこそが、今私たちに求められているのではないでしょうか。
(注記のない写真:hamahiro / PIXTA)
執筆:千葉県公立小学校教員 松尾英明
東洋経済education × ICT編集部
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