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〈解体された幻の博覧会〉大阪万博をも上回る"巨大プロジェクト"の遺産 時代に翻弄され続ける人工都市「臨海副都心」の数奇な運命

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都港湾局によると、臨海副都心の基盤として重要な役割を果たす共同溝はセキュリティ上の理由から一般開放が難しく、展示館は共同溝をPRする目的で約6億円を投じて整備された。

1997年度に供用が始まったが、「利用状況や費用対効果を考慮した」(都港湾局)結果、わずか4年後の2001年度から休館。施設の訪問客は累計で8.3万人程度だったとされる。それから約四半世紀も閉じられたまま、昨年秋に突如解体されることが報じられ、今年3月までに工事を終えた。

解体を終えた共同溝展示館の跡地(記者撮影)

取り壊された展示館は、先述した都市博が臨海副都心に残した“痕跡”ともいうべき存在だった。

財団法人東京フロンティア協会がまとめた記録集『世界都市博覧会―東京フロンティア―<構想から中止まで>』によると、展示館は都市博での披露が予定されており、「新しい都市の仕組みを紹介し、理解を得るために企画された」と解説されている。2001年の都議会では、当時の都幹部がその立地について「夢の大橋が都市博のメインストリートになる予定だったことから、モニュメントにふさわしい場所と考えた」とも答弁している。

大阪万博をも上回る巨大計画

都市をテーマにした博覧会の性質を踏まえると、日本最大の共同溝を世界に発信することに意義があると考えたのは自然な流れといえる。しかし、1996年に予定された都市博は直前に計画が頓挫し、お披露目の機会は失われた。それでも展示館が造られたのは、幻に終わった都市博の試みをささやかながらでも実現させようとしたのかもしれない。

そもそもなぜ、この地で都市博は計画され、最終的に中止されるに至ったのか。

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