"いい先生にしか務まらない学校"に疑問、「宿題・テスト・通知表」廃止を校長の挑戦 業務分掌や学年人事も見直し、常識を覆す改革
とはいえ、テストがなくても通知表がある限り、教員は何かしらの方法で子どもを評価しなければならない。長井校長は以前から、いずれは通知表も廃止しなければ、と考えていたという。
「現在の学校に赴任してからは、さらに2つの課題を感じていました。1つ目は、子どもたちに落ち着きがないこと。授業に集中できていなかったり、教室を抜け出してしまったりと、“学びに乗っかれない”児童が一定数いたのです。一方で、そうした子どもたちは、担任の先生が変わると落ち着くこともあります。だからこそ、どの学校も 『“いい先生”を採用したい』と考えてしまうのですが、ある時ふと思いたったのです。 “いい先生”にしか務まらない学校そのものがおかしいのでは――? これが、2つ目の課題です」
一部の先生にしか、授業中に児童を集中させたり、クラスを束ねたりすることができない。そんな属人的で脆い体制のもとに成り立つ現在の学校を、どうにか変えられないか――。この課題感と、従来の違和感が結びつき、西新宿小学校での思い切った改革につながったわけだ。
教員の自律を阻む、「上からの締め付け」の厳しさ
一連の大改革の成果について、長井校長は「2年経ったが、非常に危ういところを歩んでいる」と正直な感想を語る。改革はトップダウンで進めたこともあり、「現場の教育観はあまり変わっていない」と評価しているようだ。
「多くの先生は今でも、『子どもは自力では理解できない。だから、知識を与えて教えてあげなければ』という意識があるようです。私は、『子どもには元々学ぶ力が備わっていて、環境さえ整えれば自力で学べる』と考えていますが、先生の“子ども観”を強制的に変えるのも本意ではありません」
実際に全国の小学校でも、西新宿小学校のような改革はあまり見られない。その根本理由として、長井校長は「上からの締め付け」を挙げる。
「これを象徴する例に『時数管理』があります。各教科の授業時間は、学校教育法に基づいて、年間の合計時間から週の授業数までびっしり決められています。たしかに、教育の均一性を保ちカリキュラムを体系化するという意義はありますが、一方で、現場の実情や子どもたち一人ひとりのニーズに合わせた柔軟な授業運営は難しい側面もあるのです」
教員が時数管理に縛られると、授業時間を守るために、本来掘り下げるべき議論や実践的な活動が削られる可能性もある。その結果、子どもたちの多様な才能や興味が発揮されず、一方的で画一的な授業になってしまうのだ。
「子どもたちの個性を育むには、自由な発想と柔軟な授業運営が必要です。しかし、現行の厳しい管理体制は、教員の創意工夫や自発性を奪うものばかり。教員が前例踏襲の無難な選択に流されていては、子どもたちの主体的に学ぶ機会を失ってしまうでしょう。これは、日本全体の国力にも悪影響を及ぼしかねません」
長井校長は、「教員が上から求められる一律的な業務に忙殺されているせいで、子どもたちにも全体主義的な“まとまり”を求めてしまうのではないか」と推察する。実際、通知表やテストを廃止したことで、教員と子どもたち・保護者との緊張関係は緩まり、関係性が良くなったように感じているそうだ。また、宿題がないため、未提出を追及する教員の指導に子どもや保護者が不信感を抱く機会も減ったのだという。