ウクライナ戦争の遠因作ったメルケル「歴史のif」 ロシアの侵略行為への宥和政策が見くびらせた

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トランプ大統領がウクライナ停戦に向けて動き出した。10年前、クリミア侵攻で和平にこぎつけたのはドイツのメルケル首相だった。回想録でどう振り返ったのか。

ロシアのプーチンと対話を保ったが……(写真:GettyImages)
ドイツ『低迷の元凶』の悔恨なきメルケル回想録」で、昨年11月に出版されたドイツ前首相アンゲラ・メルケル(在任2005~2021年)の回想録を紹介した。そこでは主に原発廃止、難民受け入れなど国内政治をめぐる箇所を取り上げたが、今回は外交政策に関する箇所、特に対ロシア、対中国政策について興味深い点を読みたい。(敬称略。肩書はその事象が起きた時点でのもの)

ウクライナ戦争は、2022年2月24日のロシアによる本格侵略開始以来、ほぼ3年が経過したが、戦争の遠因としてよく指摘されるのが、2008年4月のブカレスト北大西洋条約機構(NATO)首脳会議である。

そこでメルケルとニコラ・サルコジ仏大統領はウクライナとジョージア(以下、両国)を、NATO加盟準備入り手続きである「メンバーシップ行動計画」(MAP)に加えることに反対した。

この時にウクライナの加盟の道筋をつけていれば、プーチンが侵略に踏み切ることはなかっただろう、との「歴史のif」である。

ただ、メルケルは今でもブカレストでの決定を正しかったと考えている。回想録で挙げられているのは次のような理由である。

NATO加盟はかえってプーチンの介入招いた

ある国のNATO新規加盟によって、その国だけでなく、NATO全体をより安全にしなければならないが、両国とも国内に問題を抱えていて、その条件には当てはまらなかった。特にウクライナの場合、クリミアのロシア黒海艦隊の基地は2017年まで貸与期間が残っており、ロシアの反発は容易に予想できた。当時のウクライナ国民でNATO加盟支持者は少数派だった――。

加えて、プーチンが両国のMAP参加を甘受し、何も行動を起こさなかったかどうかは疑問であり、むしろ介入の誘因となっただろうとの見方も示唆している。

続く2014年のロシアによるクリミア併合、ウクライナ東部でのウクライナ軍と分離派(新ロシア武装勢力)の戦闘激化、ロシア軍の介入などの事態悪化の解決を目指したミンスク合意Ⅰ、Ⅱに至る外交努力で、メルケルは主導的役割を果たした。

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