ウクライナ戦争の遠因作ったメルケル「歴史のif」 ロシアの侵略行為への宥和政策が見くびらせた
合意に至ったのは、ロシア軍の攻勢にさらされているウクライナが、これ以上の領土喪失は望まなかったからだ。メルケルはロシア軍の前進を止め、ウクライナが失われた領土の保全を少しずつ達成するには、ほぼ唯一の確かな方法だったと、総括している。
合意にまでこぎつけた外交交渉の手腕は評価しなければならない。ただ、欧州にはナチ・ドイツの侵略に対して宥和政策を取り、第2次世界大戦への道を開いたと評価される「ミュンヘン会議」(1938年)の教訓がある。
プーチンが侵略戦争に踏み切ったことが歴史的事実となった現時点から見ると、外交的解決に固執した姿勢は、ロシアに対して宥和的に過ぎたとの評価が出るのはやむを得ない。
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そもそもメルケルには、安全保障上の責任を果たすためには軍事力増強も不可欠という発想は、薄かったように見える。加盟国にGDP2%以上の国防費負担を義務付けたNATO合意(2014年のウェールズ首脳会議)を達成できなかったことがずっと批判されたが、連立与党だった社会民主党(SPD)の反対のためだった、と他人ごとのように書いている。
クリミア併合後も進めたパイプライン建設
メルケルは、建設を推進したバルト海海底パイプライン「ノルドストリーム(NS)」に関しても、回想録の記述によれば「ロシアのガスへの無責任な依存に導いたと、(ロシアのウクライナ侵略開始後)かつてないほど強く批判された」。
ロシアから直接、安価な天然ガス供給を狙ったNS1は、ゲアハルト・シュレーダー独首相がプーチンと建設を推し進め、メルケル政権下の2011年11月に稼働を開始した。
しかし、2014年のクリミア併合を画期として、ロシアとの関係は大きく変化した。対ロシア制裁が発動されている中で行われたNS2建設契約調印(2015年9月)に対しては、当時からウクライナ、ポーランド、アメリカや、国内でもプーチン政権に批判的な緑の党が反対した。
メルケル政権はそれでも建設を進め、間もなく開通というところまで工事は進んだ。しかし、ロシアへの資金流入となるNS2の建設中止を求める圧力は強まり、対ウクライナ本格侵略開始の直前の2022年2月22日、オラフ・ショルツ首相はNS2の認可を取り消す決定をした。9月には破壊工作で爆破され、NS1、2ともほぼ使用不能となった。
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