ドイツ「低迷の元凶」の悔恨なきメルケル回想録 脱原発に難民受け入れ、人道を貫いた理想主義者
「自由」(Freiheit)が本書の書名なのだから、自由についての考察も最後のエピローグで述べている。
「私にとって自由とは、自分自身の限界を見つけそこまで行くことである。学ぶことをあきらめ、止まらなくてはならないのではなく、政治の世界を引退しても、さらに先にまで行くことが許されていることである。人生において新しい章を開くことができることである」
東ドイツ体制内で前半生を過ごしたメルケルが、その共産主義体制より、西ドイツ、統一ドイツの資本主義体制を評価する根本的な理由は、自分の能力を最大限発揮する自由がある社会だったからだ。
しかし、思想家ではないのだからやむをえないが、「自由」をタイトルにうたうのだから、もう少し深みのある考察をしてほしかった気もする。
旧東ドイツ地域をはじめ、旧東欧諸国の脱共産化がうまくいかないのはなぜだろう。AfDが支持を集めるのはなぜなのか。
西側世界が掲げる「自由」に反発する人がいるからこそ、ロシアや中国の権威主義体制は存続し、先進諸国でも右派、左派の政治勢力が次第に力を得ているのではないか。単に権威主義的な指導者の責に帰すべき問題ではないだろう。
また、自由という理念で異なる文化背景を持つ移民をドイツ社会に統合することは可能なのか。自由のあり方に深い省察を求められている現状がある。
「理念先行、現実軽視」のドイツ人そのままに
メルケルは確かに16年の治世で、世界金融危機、それに続くユーロ危機の対処に危機対処能力を発揮し、経済もおおむね好調で、ドイツの「一人勝ち」といわれた。誠実な、飾らない人柄がドイツ人には人気があり、それも長期政権を可能にした一因だった。
しかし、ウクライナ戦争後は、難民受け入れや脱原発政策、経済好調の理由だった対ロシアのエネルギー依存、中国市場への依存、軍事の軽視などが、ことごとく裏目に出ている。
その原因の一端は、メルケルが政治に倫理を過度に持ち込んだことにあるのではないか。ドイツの国民性には、時として理念と現実バランスを失い、理念先行、現実軽視で物事を進めてしまうところがあるが、メルケルもその弊を免れなかったのではないか。
作家トーマス・マンは、ドイツ人には「世間知らずの理論癖」があるとして、ドイツは「文化は高いが政治は惨め」と評したが、メルケルに高い支持を与えるドイツ人は、いまだにかつての政治的未熟さを払拭できていないのでは、とすら思える。
私は2018年にメルケルの伝記『メルケルと右傾化するドイツ』(光文社)を上梓し、そこで「メルケルを大政治家として手放しに評価することをためらわせるものが確かにある」と書いたのだが、その印象は回想録を読んでも変わらなかった。
回想録では、以上取り上げた点以外にも、ユーロ危機やロシアのクリミア併合への対処、父親が牧師だった幼少期の家庭環境、東ドイツ体制との関係、東ドイツ民主化の中で政治に関わるようになった経緯など、興味深い点は多々あるのだが、また別の機会に紹介できればと思う。
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