ドイツ「低迷の元凶」の悔恨なきメルケル回想録 脱原発に難民受け入れ、人道を貫いた理想主義者
9月4日、オーストリアのヴェルナー・ファイマン首相から電話で、しびれを切らしたブダペストの難民が列をなしてオーストリア国境を目指して歩き始めた、という連絡を受けた。ファイマンは、ドイツとオーストリアで半分ずつ難民を受け入れるのはどうかと、メルケルの決断を促した。人道的な緊急事態であり、メルケルは受け入れることを決断し、副首相、外相などに連絡を取り了承を得た。
9月5、6日は週末であり、ミュンヘン駅を中心に、到着する列車から多くの難民が降り立った。駅には食糧などを配布するボランティアの善意があふれていた。メルケルは、こうした歓迎の姿勢は、ドイツ人が自分の国を誇りに思うことができる一つの姿を示している、と手放しの賞賛を送っている。
メルケルの難民受け入れの動機として、労働力としての期待という分析もあったが、回想録を読む限り、直接の理由はやはり人道的な要請である。メルケル自身が難民受け入れの決断を「人間としての倫理的要求(ドイツ語でImperativ)」だったと書いているし、人間の尊厳や人権の重視を示す箇所が随所にある。
難民受け入れを疑問視する質問に憤り
「我々はやり遂げる」(Wir schaffen das)という言葉で有名になった2015年8月31日の記者会見では、ドイツで顕在化していた難民受け入れ反対のデモを、「人間の尊厳を疑う者に対して寛容はない」と真っ向から批判した。
9月5日の記者会見では、「過剰な受け入れ用意の姿勢を示唆したことによって、大量の難民の流れを広げてしまったのではないか」という質問に対し、「緊急事態に難民に対して好意的な顔をしたからといって謝罪しなければならないのだとすれば、それは私の国ではない」と反論した。さらにこの質問が気に食わなかったとして、難民は人間なのであり、「流れ」や匿名の人の群れではない、と憤りの言葉も記している。
こうした記述を見ると、メルケルが確信的な人道主義者であり、リベラルな価値の信奉者であることがよくうかがわれる一方、過度の理想主義が国民に負担を強いたのではないか、との印象も禁じえない。
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