ドイツ「低迷の元凶」の悔恨なきメルケル回想録 脱原発に難民受け入れ、人道を貫いた理想主義者
メルケルは「決定的だったのは、原子力を使うことのリスク評価が原発事故によって変化した事であり、気候変動の目標を達成するための(再生可能エネルギーという)別の選択肢があることだった」と書いており、再生エネルギー拡大に期待を持っていたことがわかる。
確かに、安全性や脱原発運動の鎮静化という意味ではメルケルの決断は、意味があった。しかし、再生エネルギーのコストは高く、電気料金はほぼ一貫して上昇した。
さらに、ロシアからの天然ガスへの依存も高まり、ウクライナ戦争(2022年)によって、他の欧州諸国に比しても甚だしいエネルギー価格の高騰に直面した。
それでもドイツはほぼ予定通りに段階的に原発廃止を進め、2023年4月、全原発の稼働停止に至った。今やドイツの電気料金はヨーロッパでも最も高い水準となっている。多量の電力が必要な精錬業や化学産業、さらに自動車などの主要メーカーが生産拠点を海外に移す動きが広がり、ドイツ経済の先行きに対する不安感が広がっている。
回想録で最も力説されているのは地球温暖化の危険性であり、メルケルは「ドイツに対して再び原子力エネルギーを使うことは推奨しない。原子力エネルギーなしに気候変動対策の目標を達成することは技術的に可能だし、それによって、地球の他の国に対し勇気を与えることができるだろう」と、依然として脱原発で世界の模範となるべき、との理想を語る一方、経済に対して与えている負の影響については言及しない。
今やドイツ経済界や多くのドイツ国民は、こうした説明に納得できないのではないか。
押し寄せる難民を前によみがえった「1989年の夏」
2015~2016年の難民危機の際、100万人を超える難民認定申請者を受け入れたことは、立派な人道的措置として称賛される一方、ドイツにその後の混乱をもたらした失政との批判も強い。
「アラブの春」(2010~2012年)などによって、欧州連合(EU)圏に流入する難民の数は増加してきていたが、2015年6月、ハンガリーのブダペストに、中東、アフリカ、アフガニスタンなどから、主にドイツを目指す多くの難民が滞留するに至った。有効な切符を持っているのにもかかわらず、ハンガリー当局によって列車から降ろされて、収容施設に連れていかれる難民たちの映像がテレビで何度も放映された。
メルケルはこの光景を見て、1989年夏、在プラハ西ドイツ大使館に、庇護を求める大勢の東ドイツ難民が駆け込んだ出来事を思い出した。東ドイツは西ドイツの圧力を受けて、これら難民を鉄道で西ドイツへ移送することを認めた。その後、11月のベルリンの壁開放に象徴される東ヨーロッパ民主化の先駆けとなった出来事だった。
メルケルはこの出来事を念頭に、難民をブダペストからドイツに入国することを認めるべきかどうか、自問した。
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