北海道から九州まで「ローカル私鉄気動車」の記憶 戦前生まれや「バスそっくり」など個性派ぞろい
一方、同じ和歌山県の紀勢線沿線にある現役のミニ私鉄、紀州鉄道も他社からの珍しい譲渡車が走っていた。長らく主力だったキハ600形は元大分交通耶馬渓線(大分県、1975年廃止)の気動車。同線廃止後に紀州鉄道に転じ、2009年10月まで走り続けた。現在は商店街の一角に保存されている。
中国地方では同和鉱業片上鉄道(岡山県)が思い出深い。柵原鉱山で産出される硫化鉄鉱を片上港まで輸送する鉄道で、1991年に廃線となった。旅客輸送は機関車牽引の客車列車が、その車体色から「ブルートレイン」として知られていたが、晩年の気動車では1953年製の自社発注車キハ312の活躍が目立った。片上鉄道は「柵原ふれあい鉱山公園」に多くの車両が保存されており、往年の姿をしのぶことができる。
南国情緒たっぷりのローカル線
九州は、現在は第三セクターを除けば非電化私鉄は島原鉄道(長崎県)のみとなっているが、かつては大分交通や鹿児島交通などの非電化ローカル私鉄があった。筆者がたびたび訪れていたのは、現役当時日本最南端の私鉄路線だった鹿児島交通枕崎線(鹿児島県)だ。枕崎―伊集院間49.6kmを結んだ同線は1914年に南薩鉄道として開業。「南薩線」として親しまれたが、1983年6月の豪雨災害で一部不通となり、翌1984年3月18日に全線廃止となった悲運の鉄道である。
筆者が初めて訪れたのは1974年の夏で、灼熱の太陽とともに強烈な印象を受け、それ以来何度も訪れた。最後まで活躍したのは国鉄キハ07形(キハ42600形)とほぼ同型のキハ100形、国鉄線の西鹿児島(現・鹿児島中央)乗り入れ用として国鉄キハ10系に準じた構造で造られたキハ300形だった。
とくにキハ100形は、そのレトロな半円形の前面スタイルやオレンジに紺帯のカラーリングも相まって南国情緒たっぷりのローカル線らしい様相を呈していた。廃止後は加世田駅構内のバス車庫内でキハ100形103号が保存されている。筆者が2年前に訪れたときも車体は美しく磨かれ、その姿を今に伝えていた。
気動車、キハといえば旧国鉄型に注目が集まりがちだが、日本の各地で人々の生活を支えたローカル私鉄で地道に走り続けた気動車たちについても、今一度振り返ってその活躍をたたえたいものだ。
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