「落ち込みやすい人」が今すぐやるべき2つのこと 普段、むやみに反省して傷ついていませんか
今日は、そんな「しょうがないこと」を献身的に引き取って理不尽な痛みに苦しむ方々にメッセージを伝えたいと思う。
解決策は簡単。自身に2つの質問をぶつけるだけだ。
【最初の質問】それって、あなたが反省すべきか?
突然だが、私が新卒入社した会社はとんでもないグレーな企業であった。
何が驚きって、表向きは法規制の遵守や社会貢献活動には余念がないように見えるが、実際はパワハラ、セクハラなど、ありとあらゆるハラスメントを詰め込んだ、ハラスメントオールスター的な会社であった点である。
同期で居酒屋で飲んでいる際、受けたことのあるハラスメントでビンゴ大会をやりだすなど、もはや逆に被ハラスメント側もたくましくなる、そんな会社と労働者の双方がコンプライアンス意識を感じさせない、倫理感と道徳観念がぶっ壊れた会社だった。
そのような会社に勤めていると、上司の叱責によって「何もかもが自分のせい」「社会人なら結果が全て」などと思い込んでしまうことがあった。
当時精神的に末期だった私も、ある日出勤時の雨模様の空を見て、「ああ、普段の私の行いが悪いから今日は雨なんだな……」と、地球規模の責任の十字架を背負う思考になったことすらある。
当時の私のこの状況を見て、この記事を読んでいる皆さんは、「雨なのはお前のせいだ!」と思うだろうか。
多くの方は、「いや、雨は誰のせいでもないでしょ」程度の感想なのではないだろうか。
そうなのである。誰のせいでもないのである。つまり、責任は誰にもないのである。少なくとも、当時の私には、間違いなく雨が降った責任はなかった。
そして大事なのは、その雨の責任を、私がわざわざ負いに行く必要はもっとなかったということである。
さて、ここでまた気になるのは、その責任の有無をどう判断するか? である。
しかしこれは非常に簡単で、「あなたがどうにかできる(どうにかすべき)問題だったか?」と自分に問いかけ、「YES」ならばバッチリ責任を感じてほしい。反省しろ、もうやるな。頼むぞ。以上。
一方、「NO」だった時である。もはやこの時点で、あなたがどうあったとしてもどうしようもない問題であるため、責任を感じることはない。
だって、どうしようもなかったのだから。ゆえに、今責任を感じる必要もないし、前述のとおり、わざわざその責任を負う必要もない。誰もが不必要で理不尽なダメージは無視するべきだ。なぜなら、どうしようもないことなのだから。自分の心にかかる負荷は、全て負わず、必ず取捨選択をしよう。