とはいえ、はなから「インターバルなんて学校には非現実的」などと、はねつけるのではなく、教員と子どもたちの健康、安心を守ることの重大性も考えてほしい。私は、多少自習(必要なら、教員以外のスタッフによる見守りを付けて)になる日が出たとしても、残業の多い教員の始業時間を遅らせる日があってもいいのではないか、と思っている。授業を進めることの重要性は、教員と子どもの健康と比べれば、そこまで高くない。
11時間のインターバルで十分なのか?
しかしながら、私個人は、以上の趣旨に鑑みると、11時間のインターバルでは、まだまだ最初の一歩に過ぎず、不十分だと考える。中教審答申には反映されなかったが、私見を中教審で以下のとおり提出した。
・とはいえ、11時間のインターバルでは、翌朝8時過ぎに出勤する場合、夜9時頃まで仕事をできてしまう。この場合、教員の多くは休憩もとれていない現実も勘案すると、時間外は1日5時間程度であり、仮にこの状態が20日続けば、月100時間であり、過労死等のリスクは高い。
・つまり、11時間のインターバルでは、必要最低限の健康確保の歯止め、呼びかけにしかならず、健康確保策としては十分とは言えない。将来的には13時間のインターバルを設けることなども含めて、今後の検討課題とするべきだ。
・国家公務員や他の地方公務員で推奨されているのは11時間のインターバルだ、との反論はあろう。なぜかこういうときだけ、ほかの公務員とあわせようとするのだが、健康確保策である以上、上乗せがあってもいいはずだし、前述のとおり、休憩がとれていない問題などは教員は他の公務員とはかなり異なる。
出所:中教審・質の高い教師の確保特別部会(第13回 2024年5月13日)筆者提出資料(誤字等を微修正)
つまり、11時間のインターバルというのは、過労死防止や睡眠不足防止の歯止めとしてはまだまだ弱いし、甘い。逆に言えば、このインターバルさえ「できない」「学校にはなじまない」「現場を知らない文科省や一部の識者が机上論でルールを追加しただけ」などと認識している教育長、校長がいるのだとしたら、「月100時間以上残業させないと、仕事が回らない職場を、あなたは放置しているのですか? 使用者、マネージャーとして失格では?」と問いたい。
国が言うことから上乗せするのは、地方自治でできる。以上、ご理解、納得できる部分があれば、ぜひ教育委員会の中で、13時間などのインターバルも検討してほしい。そういう教員にも、子どもにも「やさしい」自治体には、おそらく教員志望者は増える、と私は思うのだがどうだろうか。
(注記のない写真:プラナ / PIXTA)
執筆:教育研究家 妹尾昌俊
東洋経済education × ICT編集部
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