通知表を作成する時期になると(3学期制のところなら7月、12月、3月など)、土日出勤している先生は多い。たかがと述べると、失礼な言い方になるかもしれないが、たかが通知表のために土日を潰すほどの残業をして、くたびれるのは、もったいないと思う。それに、教員本人もなるべくなら時間をかけたくないと思っている場合が多い。
加えて、チェックの時間もバカにならない。学級担任が書いたあと、誤字脱字や不適切な表現がないか、学年主任がチェックする。学校によっては、そのあと、教務主任や教頭、最後に校長がチェックして、3段階も4段階もというところもある。
保護者に出すものなので、学校は非常に気を遣っているのだ。たまに負担を考えない校長が修正を指示したりすれば、やり直しである(チェックも再度)。
ところが、保護者にとっては、どうだろうか? わが子の通知表を30分以上「熟読」している、あるいは三度も、四度も読み返している人はどれくらいいるだろうか?
私が保護者向けの講演のときに聞いた感触からすれば、30分はもとより10分以上読んでいる保護者もほとんどいない。私自身も、これまで4人の子どもが小学生だったが、ものの数分だと思う。「今回は〇が増えてよかったね」とか「クラスでこんなこと頑張った、って書いてくれているよ」と子どもと話すネタにはなるが、その程度のもの。それがおそらく多くの保護者にとっての通知表ではないだろうか。
かけた手間、時間の割には、保護者と児童本人にとって、いかほどの効果があるのだろうか。タイパ(タイムパフォーマンス)、時間対効果が悪いのではないか。
「何のため?」+「だったら、別の方法もあるよね」
そもそも、何のために通知表をつくって、渡しているのだろうか。
私が担当する教職員研修や校長研修、あるいは保護者向け講演では、この問いについて話し合ってもらうことがある。いろいろな考え方はあってよいと思うが、「子どもの成長やがんばりを家庭に伝えるため」「学習で課題のあるところを保護者に知ってもらうため」といった声が多い。
まとめると、通知表の主たる目的、狙いは、子どもたちのよさや課題を保護者と本人にフィードバックすることだろう。ならば、次の質問は2つだ。
〇その目的に照らすと、通知表以外の方法もありますよね?
「本当にその狙いどおりに運用できていますか?」と問いかけたのは、正直、通知表が形骸化している学校、学級が多いと感じるからだ。前述のとおり、おそらく多くの保護者にとっては、通知表をもらっても「まあよかったね」「次頑張ろうね」「ふーん」といった程度のもの。中学受験に関係して、かなり熱心に気にする保護者もいるだろうが。
問題は学校側の姿勢にもある。その子の課題や改善が必要なところを書いて、保護者の心象を悪くして関係がこじれてはいけない、クレームものになっては面倒だ、と考えるので、課題は書かなかったり、無難な表現にとどめたりする例が多い、と聞く。
これでは、通知表は、もはや作成すること、渡すことが目的化しているような部分があって、フィードバックとしての意味は、薄くなっているのではないか。
次に「通知表以外の方法もありますよね?」と質問したのは、ほとんどの小学校では通知表に加えて、保護者との面談、懇談の機会を設けているからだ。通知表にそうしゃかりきにならなくても、面談のときにいろいろと話ができるという場合も多い。
保護者にもよるかもしれないが、顔を合わせてのほうが、課題や気になっていることについても、保護者に伝えやすいし、相談にのったりもしやすい。また、児童の頑張りや成長を伝えるのは、なにも通知表のような学期末だけではない。日ごろの授業の中でも、ほとんどの先生はよく児童を見ているし、褒めたり、指導したりしている。
ある小学校は、児童の作文やレポート、絵などの作品をファイルにとじている(「ポートフォリオ」と呼ばれるが、そう難解なものではない)。たまに先生からもコメントが付いている。これで1年間の成長はよくわかるし、学年をまたげば、6年間の成長も見えてくる。児童を励ますフィードバックという意味では、私は通知表でなく、こうした取り組みで十分かと思う。