国のネグレクト?「子どもの貧困」ではなく「制度の貧困」

筆者は2000年代はじめに、日本の児童保護施設で学習ボランティアをしていた。その中で、都内の有名大学に合格したものの、「奨学金という借金を抱えるのは怖いから入学を諦める」と言う若者がいた。何か支援があるかもしれないと一緒に大学に交渉に行ったが、施設育ちで親が所在不明である事情について「天災や親の死亡、失業などには該当しないので、学費免除や減免の対象にならない」と言われた。

この若者がフランスにいれば、入試がないので入試にかかる費用はなく、大学の授業料は無料で入学金もない。施設出身者は寮に優先して入ることができ、生活費の奨学金は返済不要で学食も1食1ユーロ(日本円換算で155円程度※1)で食べられる。下図のような経済支援制度があるので、学生である限り生活の心配がないのだ。

※1 以下、金額はすべて2023年12月10日のレートを基に1ユーロ=155円で計算

出所:『子ども白書2023』p.56 (かもがわ出版)

義務教育中の支援も手厚い。例えば、貧困層の多い地域の学校では、子どもたちは登校すると用意されているフルーツなど簡単な朝食を取り、職員たちとお茶を飲んでおしゃべりをしてからクラスに向かう。必要に応じて衣類はスクールソーシャルワーカーが、勉強机は児童相談所が、その費用を手続きして用意する。子どもの環境の不足をチェックし、状況が改善するまで見守っていく体制になっているのだ。

家庭環境や経済的な格差は、子どもの貧困ではなく制度の貧困であり、福祉や制度が整っていればリカバリーできるはずだ。「国のネグレクト、国ガチャ」の状況があると筆者は考えている。

安發明子(あわ・あきこ)
フランス子ども家庭福祉研究/通訳
1981年鹿児島生まれ。首都圏で生活保護ワーカーとして働いたのち2011年渡仏。一橋大学社会学部、フランス国立社会科学高等研究院健康社会政策学修士、社会学修士。著書に『一人ひとりに届ける福祉が支える フランスの子どもの育ちと家族』(かもがわ出版)、『親なき子 北海道家庭学校ルポ』(金曜日、ペンネーム島津あき)ほか
https://akikoawa.com/

前述の若者の一件から20年が過ぎたが、今もなお日本には、大学に行きたくても行けない人がいることに衝撃を受けている。今年の夏に一時帰国の際に滞在していた九州の町はそこから通える大学がなく、そこで聞いた話によると、その地域の高校では今年8人が大学受験をして全員受かったのに、進学したのは2人だけだったという。進学した子の母親は、「みんな、長男だけでも大学に行かせてあげたいけど、4年間の学費や1人暮らしのアパート代、生活費は払いきらんと言っている」と話す。

少子化が進む中、せめて生まれてきたすべての子どもたちが力を発揮できるようにすることは社会全体の利益にもつながるはずで、最優先課題の1つであるべきだろう。子どもがお金を理由に進学を諦めることがない仕組みを望む。

そもそも今の日本でなぜここまで自己責任論が蔓延するようになったのか。首都圏では中学受験が過熱し、塾で長時間過ごす小学生も多いようだが、偏差値至上主義により「努力して受験に成功したのだから、自分は幸せになって当然。ほかの人も不幸になりたくないなら頑張るべきだ」といった発想の大人が育たないか危惧している。

そうした自己責任の考えでは、暮らしの土台の不平等が見えなくなり、格差問題が否認されてしまう。「自分はチャンスが与えられたから自己実現できている。すべての人にチャンスがあるべきだ」と考える市民が育つ社会のほうが安心ではないだろうか。

なぜフランスの子どもたちは「塾」に行かないのか?

フランスは、平等な機会を目指す挑戦を続けている。1948年に国連で採択された世界人権宣言第26条の捉え方にもその意思が表れており、第26条の教育の目的について「その人らしさが開花すること、人権と自由が尊重されることを確かにすること」と訳している。一方、日本は「人格の完全な発展並びに人権及び基本的自由の尊重の強化」と訳していて、印象がだいぶ異なる。フランスのほうが、実践の根拠となる考えを共有されやすい言葉で表現している。

また、フランス国民教育省は基礎能力を「読み書き計算、他者の尊重」とし、ホームページには「責任ある市民を育てる」ことを教育現場で一貫して意識するよう記している。学校は社会的心理的能力を習得する場でもあると捉えているのだ。

そんなフランスでは、受験や塾は一般的ではなく、偏差値という概念も使われない。どういう教育制度になっているかというと、3歳(※2)から義務教育で、朝8時半から夕方16時半まで学校に行き、16歳の義務教育終了時に全員が一定の能力を身に付けていることを目指す。

※2 希望すれば2歳から入学でき、育ちの状況によっては2歳から入学が勧められる場合もある

1クラスの平均人数は小学校21.6人、中学校25.9人と、目が行き届きやすい体制だ。子どもがそれぞれ一番能力を発揮できる学びの方法を学校側が責任を持って見つけていくことになっており、必要に応じて子どもたちは放課後の補習も受けられる。

落第と飛び級があるが、勉強に遅れがあれば、すぐに学校の医療チームが原因究明やサポートを行い、問題が解決するまでフォローすることになっている。健康診断でも身体面だけでなく学習面や心理面も確認する。そのため、大きくなるまで障害が気付かれない、授業が理解できないまま進学してしまうといったことが防げる。

「発達には個人差があるので、専門家をすぐにつけなくてもよいのではないか」という批判はあるが、日本の児童保護施設で読み書きができないまま成人を迎える子どもを何人も見てきた筆者としては、親次第になることなくサポートが入り、子どもの力を引き出そうという姿勢は評価すべきだと思う。

学校の医療チームは、2歳から10歳の子どもの場合、教育委員会に所属する学校専門医、看護師、言語聴覚士、運動・認知・心理の間の接続に働きかける精神運動訓練士、心理士で構成され、予算は国や自治体が負担する。例えばパリ市は2022年、年間で学校の医療チームに1200万ユーロ(18億6000万円)を投じた。

学校の医療チームや学校ソーシャルワーカー、学校カウンセラーなどの学校保健政策の費用は、国全体で年間13億1000万ユーロ(2030億50000万円)。子ども1人当たりに国がかける教育費は、小学生1人当たり年間7910ユーロ(122万6050円)、中高生で10770ユーロ(166万9350円)である。また、私立校も多くは公認校で、教育省の教育プログラムに沿うことを条件に教員の給料を国が支払うので、家庭の持ち出し分はそこまで高くない。

フランスは「国が子どもを育てるのを、親が協力する」と揶揄されるほど教育における国の存在感が大きいが、それは子どもの育ちを保障しているということでもある。

つまり、学校が子どもの学びを保障するので塾に行くという文化がないのだ。その代わり学校の勉強は忙しく、勉強させすぎているという批判はある。小学1年生で週にフランス語10時間、算数5時間、外国語1時間半、体育3時間、アート2時間、市民教育2時間半の合計24時間あり、勉強の時間が日本より多い。中高生はもっと勉強が厳しくなるため、フランス人からはなぜ日本では部活をする時間があるのかと不思議がられる。

大学院まで原則「授業料なし」「受験なし」

大学や大学院も、原則として授業料が無料だ(※3)。いわゆるエリートを養成するグランゼコールなど一部の高等教育の進学先を除き、各校個別の入試もない。一方、中学と高校で卒業資格を得るための試験があり、両方とも合格率は9割ほどだが、主に普段の学校の成績で進路が決まるので、日本のような塾通いや受験戦争は存在しない。卒業資格が得られない場合、1年留年して受け直すか、職業資格コースなどに進む。

※3 2019年秋以降、EU外の学生については有料だが特別措置あり

大学の大半は国立大学であり、国のオンラインプラットフォームに希望の大学と学部を複数登録する。主に在学中の成績を基に、大学が条件に合う人に入学申し込み許可を出す形で合否が決まる。

ただし、受験なしで進学できる代わり、入学後のパフォーマンスが問われる。筆者はフランスの大学院に通ったが、学科で2年生に進級できた学生は6分の1のみ。他方、年次を修了できれば次年度は違う学科への進級も可能だ。筆者は「学部時代は、1年目は歴史学、2年目は哲学、3年目は政治学を学んだ」という学生たちと出会い、そんな学び方もあるのかと目から鱗が落ち、羨ましく感じた。

このように塾代、受験費用、学費、入学金などの家庭の負担がなく、経済的な理由が高等教育へのアクセスを狭めないような仕組みを用意し、「教育によって成功への平等な機会がある」よう取り組んでいるフランスだが、課題はある。同じ資格があっても同じ就職先が保障されるわけではない。例えば履歴書の名前から北アフリカ出身者と思われる人は、フランス出身の名前より31.5%も面接の連絡を受ける機会が少ないという調査報告もある。貧困層から富裕層への移動は容易ではなく、不平等な社会であることは大きな課題だ。

それでも筆者は、すべての人に潜在力があると考え、その力を引き出すことが、子どもに関わる専門職の役割とされているフランスの方針は学ぶべきところが多いと思っている。

筆者は実際、難民として来た少年が3カ月後にはフランス語を流暢に話せるようになり、1年半後には「学年トップになったよ!」と報告する姿や、障害を専門職のケアで克服した事例など、「こんなにも人間には可能性があるのか」と感じるケースをいくつも見てきた。

精神疾患と薬物の依存症がある母親の下に生まれ、父親が異なる3人の兄弟とともに施設で育ったある若者は、大学院を卒業して英国に留学し、現在は弁護士をしながら福祉分野で発言をしている。「もっと早く施設に移されるべきだったが、学校の専門職が気づかなかった」「よくない里親がいたのに相談をしても里親の肩を持たれた」など自身の経験も語りながら是正を求めている。こうした若者たちがよい未来を築く頼もしい力になっており、子どもの力を引き出すことは国の発展を支える土台だと思う。

大人になっても「やり直しのチャンス」がある

もう1つ、フランスの大きな特徴は、やり直しのチャンスがある点だ。

例えば、16~26歳の若者の就労や進路選択を支える「第2のチャンス高校」が各県にある。筆者が調査した県には4校あり、10カ月間基本給が支払われ、3週間ごとに職場実習と通学を繰り返す。主に仕事を辞めた若者のための選択肢だが、最近では移民も多い。

そのほか、福祉系専門学校の平均入学年齢は31歳で、別の職業や学問の経験者が多い。失業保険の受給中も学び直しができ、例えばパリ市が開催する半年間の講座は、レースや刺繍、カメラ技術、マネジメントや会計などがあり、1万円程度で受講できる。仕事をしながら市民講座に通い、転職する人もいる。

フランスはこのように、親の意向や経済状況に左右されず進みたい道を選べ、やり直しや方向転換ができるようになっている。日本もすべての人が「自分はやりたかったことを実現している」と感じて生きられる方法を用意する国であってほしい。子どもにまで自己責任を求めることをやめ、すべての子どもに機会があることが大事であるという認識が広く共有されてほしいと願う。

(写真:安發氏提供)