学校側の見立て、回答と、不登校の児童生徒本人(ないし経験者)の声と、どちらかだけが正しい、と言いたいのではない。おそらく両方の調査を踏まえる必要はあろう。だが、両者があまりにも乖離していることからも示唆されるように、文科省の生徒指導諸課題調査は、実態把握としては不十分なのではないか。
むしろ、「不登校なのは、本人の無気力・不安が主たる原因である」と安易に、自己責任論を展開する、あるいは本人、家庭のせいにしてしまう教育行政になってしまうおそれがあり、この調査には弊害のほうが大きい、とさえ言える。
先ほど紹介した暴力行為についても、文科省の分析は資料によると、「部活動や学校行事などのさまざまな活動が再開されたことにより接触機会が増加し、いじめの認知に伴うものや生徒に対する見取りの精緻化によって把握が増えたことなどが、暴力行為の発生件数の増加の一因となったと考えられる」というものだ。
これが当たっている部分もあるかもしれないが、おそらく複雑な要因・背景のほんの一部しか説明していない。文科省のこの説明だけでは、10年近く小学校で増加を続けている理由としては弱いし、接触機会が増えれば暴力も多くなるというのも乱暴な理屈付けだ(例えば中1のときの暴力行為が最も多い理由を説明できていない)。
うがった見方かもしれないが、暴力行為についても、いじめについても「増えてはいるけど、それは軽微なものまでカウントするようになったからだよね」とか、「コロナが落ち着いてその反動もあってだろうね」など、とりあえずの理由を探して、わかったような気分になっているのではないか。不登校の要因把握と同じく、学校や教育行政(教育委員会、文科省)が安易に自己正当化していくことにつながりかねない。
ここでは扱わないが、ほかの箇所もご覧いただきたい。生徒指導諸課題調査は、文科省あるいは教育委員会の印象論が多く、事実をなるべく正確に把握しようという気があるのか疑わしい。調査することが目的化しているのではないか。
すべて精緻な調査や検証ができるものではないとはいえ(調査の困難さや労力、コストの問題もある)、あまりにもお粗末である。こんな状態では、件数が増えていそうだとはいえ、何が、どの程度深刻化しているのかわからないし、要因・背景がはっきりしないなら、対策の打ちようがない。政治家や財政当局(財務省など)に積極的に現状の困難さを示すこともできないなら、予算獲得だって遠のく。
しかも、中途半端な認識で、的外れの政策を打たれては、教職員にも子どもたちにも迷惑だ。外科医がたいした診断や検査をせずに、手術を執刀するとしたら、恐ろしいことではないか。
(注記のない写真:Graphs / PIXTA)
執筆:教育研究家 妹尾昌俊
東洋経済education × ICT編集部
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