老朽化や教員配置も深刻な「学校プール」、施設の有無より重要なものは 「学校で考えろ」はナンセンス、地域での議論を
「ほかの自治体での公営・民営プールの授業も見ましたが、子どもたちの前向きさや表情のよさに驚きました。指導に関わる人数が多い分、子ども一人ひとりをきめ細かく見ることができるし、何といってもインストラクターはその道のプロフェッショナル。学校の授業だとなかなかこうはいかないでしょう。保護者や先生方からもおおむね好評だと聞いています」
熊谷氏は今後、こうした「現場の感覚」や「子どもたちの反応」を踏まえて、明確な成果を示していくことに注力したいと考えている。これまでのプールの授業の評価規準が「泳力」でしかなかったことにも疑問を呈した。
「旧来の指導方法で何メートル泳げたかだけで評価されてきたことが、水泳嫌いを増やしてはいないか、全欠する子どもを生んではいないか。プール授業の外部化は、そうしたことを問い直すきっかけでもあると思います。体育の授業は単なる技術向上が目的ではありません。子どもの様子に応じてどう声をかけるか、やる気を引き出し、どう自信を持たせるかということこそが重要だと思います」
熊谷氏はすでに、学校プールで従来どおりの指導を受けている子どもたちと、インストラクターによる授業を受けている子どもたちの間に歴然の差を感じているという。子どもたちにとって重要なのは学校プールの有無ではなく、指導内容だということだ。
ただし、プール指導を専門のインストラクターに委託することは、教員の異動に影響してくる可能性がある。同じ自治体内でも、水泳の指導が外部主体である学校と、教員が直接指導する学校とがすでに混在している。おそらく前者が増えていく潮流を考えると、水泳指導の経験が少ない教員を後者の学校に配置することには、特別の注意が必要になっていくだろう――熊谷氏はそう懸念している。
「今はまだ、プール指導の経験がある教員が多いので何とかなっていますが、10年後にはかなり厳しくなるでしょう。私たちはすでに、そうしたことも考えなければならない局面に来ているのです」
プール存続の方針とともに、指導の質や教員のあり方についても議論を深めてほしいと語る熊谷氏。その議論はさらに、学校だけでなく地域全体で向き合うものだと強調する。
「プールは学校のものだから学校の範疇で考えろ、というのはもはやナンセンスだと思います。全国で子どもが減り、過疎化が進む今の日本において、地域や施設をどう守っていくかは非常に難しい課題です。学校を地域の拠点として活用すること、地域資源を学校が利用することが求められます」
公共施設である以上、費用や効率性の議論は重要だが、だからといってコスト論に終始するのは避けるべきだと語る熊谷氏。「1つだけ、個人的には反対」だと挙げるのは「プールの一律廃止」という選択肢だ。
「大切なのは、未来を生きる子どもたちにとっていちばんいいのは何かということです。その気持ちが共有できていれば、よりよい結論を得るのはそう難しいことではないでしょう」
(文:鈴木絢子、注記のない写真:akiko / PIXTA)
東洋経済education × ICT編集部
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら