山手線事故、防ぐチャンスは3度あった? 現場からの情報が放置された"空白の6時間"
4月11日夜、山手線の運転士が運転中に「電化柱が傾いている」ことを確認。大崎運輸区にある職場に戻った20時すぎに、管理者に報告した。管理者はすぐに首都圏の運行を管理する東京総合指令室の輸送担当者に報告した。
4月12日2時。輸送担当者から同室内にいる設備担当者に電化柱の傾きが伝えられた。設備担当者からの連絡で、山手線内回りの始発列車に作業員が乗車し、4時50分に電化柱の状態を目視で確認。このときは安全性に問題なしと判断された。
6時09分。山手線の内回りの列車が通過。その直後、電化柱は内回りの線路上に倒れ込んだ。6時10分、電化柱が倒れているのを京浜東北線の運転士が発見し、非常信号を発信。半径1キロメートルのすべての列車が緊急停止した。
ちなみに、6時13分には次の山手線内回り列車が通過する予定だった。もし京浜東北線の運転士が非常信号ボタンを押さなかったら、山手線が電化柱に衝突していた可能性は否定できない。
10時22分から復旧作業が始まり、倒壊した電化柱を撤去。15時30分に運転が再開された。
見過ごされた3度のチャンス
こうして事故に至るまでの流れを見てみると、倒壊を防ぐチャンスが少なくとも3回はあったことがわかる。
1回目は4月10日。線路の反対側の電化柱の撤去作業のときだ。保線作業のスペシャリストでJR連合の事務局長を務める井口昌宏氏は、「電化柱が傾いているのがわかった時点で、最悪の事態を想定するべき。作業員が足りないなら、ほかの作業を中断しても応急処置をするべき。少なくともわれわれは先輩からそう教えられてきた」と語る。
第2のチャンスは、11日夜の山手線運転士による発見だ。「運転士が報告するくらいだから、通常とは違う傾きだったのではないか」(井口氏)。運転士からの情報が管理者経由で総合指令室の輸送担当者に報告されてから、同室内の設備担当者にその情報が伝えられるまで6時間かかっている。その間、この情報はどのような扱いになっていたのか。
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