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絵に描いた餅に終わった「豊田ビジョン」の教訓 製造業のトップが日本経済を仕切る時代の終焉

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トヨタ自動車の豊田章一郎 名誉会長
(写真:Photographer: Andy Rain/Bloomberg News)

トヨタ自動車の豊田章一郎・名誉会長が97歳で亡くなった。1982年から92年までトヨタの社長を務め、94年からは自動車メーカー出身者として初めて経団連会長を務めた。その死は1つの時代の終わりを感じさせる。

みこしとしてうまく担がれてみせるタイプのリーダーだったと思う。95年11月に経団連会長として取材した際、豊田氏は事務局が作成した想定問答のペーパーにずっと目を落としていた。当時懸念が膨らみつつあった不良債権の処理に話が及ぶと、「金融機関の自助努力だけでは問題の先送りになり、結局社会的コストが大きなものになるとの考え方が一般的になってきた」と読み上げ、「私は素人ですが、そういうことです」と照れくさそうに付け加えた。その率直さに好感を持ったことを覚えている。

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