福島県磐城高校・生徒に強制しない監督が「甲子園出場」決めた納得の理由 自主性に任せて、子どもたちはどう変わったか?

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木村:やはり、若いうちは自分主導で子どもたちに言い聞かせたり、気持ちを伝えるという部分が大きくなっていました。また、子どもたちは学生なので勉強や学校生活と、大好きな野球という両輪をうまく組み合わせなきゃいけない。そのバランスに関して、自分の中に葛藤もありました。ただ、子どもたちとの関わりの中で、最初の目標であった「甲子園に行く」ということから、「子どもたちがどういう大人になるのか、なってほしいのか」というところに意識が向き始めたんです。そしたら「いいオヤジになってもらいたいな」、そう思った。そういう人間的な成長の部分を、大好きな野球を通してどうやってなしえていくのか、という方向に意識が変わっていったことで、「子どもたちの心を動かす、心を鍛える」ということを大事にするようになりました。

重子:でも高校野球って、日本では学生の試合の中でいちばん注目を受けるものと言っても過言ではないですよね。やっぱり勝つことで、学校の名が知れ渡ったり、評判にも直結する。だから「いいオヤジになる」という未来よりは、なんとしても「試合に勝つ!」っていうことにフォーカスしてしまいそうだと思うのですが、そのあたりはどうですか?

分岐点となった、東日本大震災と子どもたち

木村:それには、きっかけがありました。私自身も、子どもたちも含めて、分岐点となったのは東日本大震災です。当時私は、福島県立須賀川高等学校に着任して6年目で、野球部の顧問を務めていたのですが、地震から30日ぐらいは学校生活も部活もまったくできませんでした。これからどうしようかなと考えていたとき、近所の方から連絡をもらって、当時の野球部の子どもたちが、地域のためにボランティア活動を始めていたことを知ったのです。大人や誰かに言われたからではなく、子どもたちが個人個人で自主的に始めた活動でした。それを聞いたときに、子どもたちが自ら成長していたことを感じました。

ボランティア精神は、磐城高校野球部にも受け継がれた。2019年、台風19号で被災した際、被害を受けた地域の人たちのがれき撤去のボランティアをする磐城高校野球部の部員たち

重子:それが「生徒たちは、こちらからあれこれ言わなくても、自然に学んでいくんだ、成長できるんだ」と気づいたタイミングだったのですね。それで監督としてのあり方を変えたらノーシードで、夏の甲子園出場をかけた選手権福島大会で決勝まで行くという快挙を成し遂げた。そうした新しい子どもたちへの向き合い方をもって、岩間くんがいる磐城高校に着任されます。

木村:はい、そうですね。2014年に磐城高校に着任しました。それから4年後が、岩間がいた代ですね。

高橋真由(以下、高橋):岩間くんは、小学生からリトルリーグなど、いろいろな場所で野球を経験されていたと思うのですが、保監督のようなやり方で指導をしてもらうのは、高校で初めてだったのではないでしょうか? 今までの監督は、試合や練習のメニューを、ガチガチに考えて指導するような監督が多かったのではと推察するのですが、そのあたりはどうですか?

練習中の1コマ。主将の岩間くんをねぎらう、保監督
岩間涼星(いわま・りょうせい)
法政大学野球部
元磐城高等学校野球部主将
(写真:東洋経済education×ICT)

岩間:そうですね、 自分が中学生の頃までは、本当に監督さんに言われたことをすべて1から10までどう完璧にこなすかを考えてやっていたところがありました。そうすると、大好きな野球が、やらされている野球になってしまうんですね。試合中や練習中も監督の顔色をうかがってしまうという感じで。それが、いざ高校で保先生と出会ったら、とにかく生徒たちに任せてくれる。そのやり方には、驚きが大きかったです。それまでは、自分自身も監督さんに言われたことを実践してやるというのが、セオリーだと思っていたので。練習メニューはもちろん、試合中も監督の指示はなく、キャプテンが中心になってミーティングをしながら進めていく。そういう野球のやり方をしていく中で、本当に自分たちが自立していかないと勝てないなと感じるようになりました。

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