社会福祉士が語る「社会保障制度」が知られていない実態
──ご著書の『15歳からの社会保障 人生のピンチに備えて知っておこう!』(日本評論社)が好評だそうですね。中高生の世代に向けて社会保障制度をわかりやすく伝えようと思ったきっかけについて、教えてください。
私は大学卒業後、病院で社会福祉士として、患者さんやそのご家族の相談に当たっていました。その時、複数回遭遇したのが、「ネットカフェに居住して派遣業務に従事されている方が、仕事の現場で体調を崩し、救急車で運ばれてくる」というケースです。
私はその方たちの経済的な困り事に対して社会保障制度を活用するお手伝いをしたのですが、お話を聞いていくと、社会保障制度の内容について知らない、教えてくれる人も周りにいない、あるいは誤って理解している方が実に多い。「もっと前に社会保障制度を知って活用できていたら、救急車で運ばれることはなかったのではないか」と感じるケースがたくさんあったのです。
私は大学で「社会保障制度はセーフティーネットだ」と学びました。しかし、たとえ制度が存在していても利用申請をするためのサポートや施策がセットで整備されていなければ、名実ともにセーフティーネットにならないのではないか。病院勤務の中で、そういった課題を感じました。
また私自身、幼少期に大きな病気をして、医療費助成の制度を教えてもらい、かなり助けられたという経験もあります。一方、私が出会った方々は制度を知らないことで、困った状況に追いやられてしまった。そこに対してできることはないかという思いが、若い世代に向けた発信につながりました。
──住む場所を失った方のケースでは、本来ならどのような制度を活用できたのでしょうか。
例えば、ネットカフェに住んでいた方であれば、家賃をどうしても支払えなくなる前の段階で、住居確保給付金や生活保護制度の住宅扶助によりサポートを受けるという方法が利用できていれば、住まいを失わずに済んだと思います。
とくに生活保護制度は、「働いていると利用できない」「住所がないと利用できない」「若いと利用できない」と思っている方も多いのですが、それらはすべて誤りです。国が定める最低生活費の基準額を下回る収入であれば、働いている方でも生活保護を受けられます。そういったことを知っていたら、住む場所を確保でき、体調を整えてからまた仕事を見つけることもできたのではないか。そう思うケースに何度も出合いました。
しかし、社会保障制度の仕組みを学ぶ機会がないので、多くの方が知らないのも無理はありません。また、自治体が社会保障制度について市民に広報することも義務化されていません。自治体としては制度の利用者が増えると財政負担が増すという懸念もあり、積極的に広報する動機づけがないのです。
このように、学んでいない、知らされていないということが、社会保障制度が必要な人に届きにくくなっている大きな理由だと考えています。
──仕組みの複雑さや専門用語の多さも壁になっているのではないでしょうか。
仕組みは細かいです。例えば生活保護制度において、自分の世帯の最低生活費を調べようと思うと、複雑な表を見ながら電卓をたたいてみないとわかりません。また、前年度の課税所得が基準になる制度なども、自身の前年度の課税所得がすぐにわからなければ、自分が該当するかどうか判断ができません。
おっしゃるとおり、言葉の難しさもあります。社会保障制度の説明は、提供主体である自治体が主語になっているものがほとんど。例えば、生活困窮者自立支援制度の相談窓口に関する説明も、「あなただけの支援プランを作ります」など、作る側が主語の文言になっています。本来なら「お金や仕事や家族について相談できる窓口です」など、利用する側を主語とするやさしい説明であるべきでしょう。
文面を読み解くのが難しい状況にある方に対しては、ソーシャルワーカーがかみ砕いて説明を支援していますが、そもそも伴走者がいないと制度の利活用が難しいというのは問題ではないでしょうか。
社会保障制度は、憲法25条の「健康で文化的な生活を営む権利」、いわゆる生存権のために整備されたものであり、その利用申請にさまざまな障壁があること自体、おかしいと強く思っています。
日本は、申請しないと制度の恩恵を受けられない「申請主義」。しかし、「社会保障制度は存在しているが、利用申請のプロセスにハードルがある」という構造的な問題を抱えているのです。
申請主義の構造的な問題は「データ連携」で変わる?
──その構造的な問題を解消するにはどうしたらよいでしょうか。
自治体がプッシュ型の支援をしていくことも必要だと考えています。自治体はその地域の住民のさまざまなデータを持っていますよね。そうした情報を基に該当者にお知らせする仕組みをつくるのです。
例えばコロナ禍で諸外国では、条件に該当すれば申請せずとも行政が給付金を振り込んでくれる「デフォルト申請」が進みました。そういった体制が日本ではほとんど整いませんでしたが、子育て世帯への臨時特別給付に関しては、該当者にお知らせし、拒否をしない限り申請不要で児童手当の入金口座に振り込んだ自治体もありました。その後の「令和4年度低所得の子育て世帯に対する子育て世帯生活支援特別給付金」も、児童扶養手当受給者に対してデフォルト申請で入金が行われています。
そのほかの現金給付系制度も、データ連携ができればデフォルト申請が可能になるのではないかと思っています。教育に関するところでいうと、利用していない世帯が多いとよくいわれる就学援助制度がその1つです。就学援助制度の認定基準は各市町村が定めるものですが、生活保護受給世帯、住民税非課税世帯などがあります。これらのデータを担当部署が活用できれば、デフォルト申請による受給が可能になると思います。
──実際、デジタル庁の「こどもに関する各種データの連携による支援実証事業」のように、子どもに関するデータを連携してプッシュ型の支援につなげていこうという動きもあります。データ連携を実現するには、どのような課題があると思いますか。
課題は、個人情報の目的外利用です。就学援助を例にすると、住民税の情報を「就学援助のお知らせ」という、本来の目的以外のことに利用することになります。こうした情報の目的外利用をどう可能にするのか、地域住民と自治体で議論していく必要があるでしょう。場合によっては、国が法律などを整備する必要もあるかもしれません。
義務教育で「ライフスキルの観点」から伝えるべき
──しかし、申請主義の構造的な問題を直ちに変えていくのは難しそうです。
はい、時間はかかるでしょう。そのため、現状ではまず、どんな社会保障制度があるのか、個人が知識を持つことが重要だと思っています。中学を卒業後、進学する人もいれば、就職して社会に出る人もいます。だからこそ、義務教育のうちに、社会保障制度にはいろいろなメニューがあることを知っておいたほうがいいと考えています。
──2022年度から高校では公民科で新科目の「公共」が必修科され、「少子高齢社会における社会保障の充実・安定化」を扱うよう学習指導要領に記載されましたが、それよりも前の段階からしっかりと学ぶ機会があったほうがいいということですね。
教育現場に詳しいわけではないのですが、現状の学校教育では、社会保障に関しては医療・介護・年金の仕組みによる「支え合い」に重きが置かれているように感じます。もちろんそれは重要なことなのですが、長い人生を生きていくうえでのライフスキルという観点から、「困ったときにサポートを求められるところが用意されていること」「さまざまなライフステージやライフイベントに対して社会保障制度が用意されていること」をきちんと伝えていくことも大切ではないでしょうか。
少々論理が飛躍するかもしれませんが、「困ったときにこれだけのメニューがある」という情報を伝えることで、社会に対する信頼感が満たされると思いますし、子どもたちの「チャレンジしよう」という思いにつながるのではないでしょうか。そうした意味でも、社会に出て働く前の義務教育のうちにきちんと学んでほしいですね。
──子どもたちが健やかに安心して成長していくために、社会保障の仕組みや社会はどうあるべきだと思いますか。
繰り返しになりますが、まずは「知らなくて利用できない」という状況をなくすことが大切だと思います。そのための施策の組み上げやデフォルト申請などのプッシュ型支援を自治体が行うこと、義務教育に社会保障制度の学びをしっかり位置づけることが必要です。
また、こうしたシステムの問題と併せて、「誰かに相談する・頼ることは恥ずかしいことではない」と大人が子どもたちに示すことも大事だと思います。それは、制度を利用したり、他者の力を借りたりすることに対するスティグマの軽減にもつながるはずです。
友達同士で「こういう制度を使ったよ」と話せるような環境は、個人の背中を押す絶大な力になります。誰でも、誰かに助けられて生きているもの。その事実と、制度の利活用には違いはありません。相談することや誰かの力を借りることが当たり前の社会になればいいなと思っています。
(文:吉田渓、注記のない写真:mits/PIXTA)