土佐兄弟・卓也「母校」に帰る、成城中学・高等学校で恩師の現校長と直接対談 6年間の濃い青春生活に思う「学校選び」のコツ

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卓也:はい。ただ待ちに待った入学式に女子がいなくて、「そういえば男子校じゃん!」とちょっとへこみましたね。文化祭には他校からたくさん女子が来ていたので(笑)。逆に盲点はそれだけで、あとは想像どおり本当に楽しかったです。余談ですが、よくうちと間違えられる成城学園は共学なんですよね。実は、本家は成城中高で、成城学園は枝分かれした側なんです。以前この話で、成城学園出身のお笑いコンビ・三四郎の2人とけんかになりました(笑)。

――(笑)。入学後は、たくさんの部活動を転々とされたとか。

卓也:私立に通わせてもらっている以上、充実した生活を送らないと親に示しがつかないと思ったんです。親孝行と言えば甲子園というイメージもあり、スポーツに打ち込む姿を見せたくて野球部に入るんですが、あまりうまくならなくて。そこから、卓球部、水泳部と移りました。成績不振だった社会の先生に、「勉強を見てやるから頼む」と言われて相撲部にも入りましたね。入部後すぐに、靖国神社で行われる伝統的な相撲大会に出なければならなかったんですが、そこで何と勝ってしまって。ところが、興奮のあまり土俵でガッツポーズをして失格になりました。でも、数々の部活を通して多くの友達や先生と親しくなりましたし、貴重な経験でしたよ。

――エピソードに事欠かないですね(笑)。転部がポジティブに捉えられる環境も珍しい気がします。

卓也:はい。先生方が転部に否定的ではなく、むしろ「次はここに入れば?」と前向きに接してくれたのはありがたかったです。

岩本:卓也くんのように、生徒はみんな、本来立派な力を持っていますからね。小さなことに対して、あまりガミガミ言わなくても道を外れて悪さはしないだろう、と教員は基本的に我慢して見守っています(笑)。

生徒会とバンドに夢中になった高校時代

――高校時代はどのように過ごされたのでしょう?

卓也:思い出深いのは、生徒会とバンドですね。目立ちたがり屋で生徒会長になったんです。といっても、マニフェストを提示してちゃんと複数の候補者の中から選ばれたんですよ。内容は、「アイスクリームの自販機を設置します」でした。

――(一同、笑い)。

卓也:いやいや、需要は高かったですよ! 当時、校内の自販機は唐揚げやフライドポテトなどかなり充実していましたが、スイーツだけがなくて。ただ、いざ実現に向けて動き始めたら、まさかの保護者の同意が得られずに断念(笑)。そのほか、新潟県中越沖地震への募金活動もしました。

――慕われる会長だったのでしょうね。バンド活動についても教えてください。

卓也:成城は伝統的にバンドが活発なんですよね。文化祭の後夜祭といえばバンドで、当時は数十組が演奏していました。僕も後夜祭に出たいなと思って、仲がよかった友達とバンドを結成し、放課後は練習に明け暮れました。実は、Hi-STANDARD(ハイスタ)のギタリスト・横山健さんが成城高校出身で、その縁もありハイスタをコピーしていましたね。

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