具体的な授業はとてもシンプルです。それぞれの子が、自分の今の力量や興味関心に沿った教材を、同じ教室・同じ時間に行う。それだけです。教師は子どもたちの取り組む様子を見回りながら、声かけしたりヒントを出したりと、難易度を調整します。「別々なことをするなら、一緒に学んでいる意味がないじゃないか」と言う人がいますが、そんなことはありません。子どもたちは同じ教室で、仲間の取り組んでいることや頑張りを感じ合い、時には教え合いながら、日々学んでいるのです。
これがインクルーシブ教育の意義でもあります。困難を抱える子を「一斉授業についていけない」といって教室から排除してしまうと、教室の子たちにとってはその子の存在自体を意識しなかったり、自分とは違う特別なものになったりしてしまう。多様な人がいること、多様でよいことを学べないまま大人になってしまう。それが今の私たちが抱える、分断という社会課題でもあります。
よく誤解されることの一つが、「障害がある子は成長しない」というものです。確かに、足が動くようになったり、目が見えるようになるといった機能回復が(今の医療では)見込めないことはあります。しかし認知力に関して言えば、ほとんどの子の場合は緩やかでも確実に成長します。認知の偏りにより自然な状態では力が育ちにくかったから、成長しないと誤解されている子が多くいるというのが実際です。
「すべての子は成長する」。私はそれを実証するために、教鞭を執る傍ら大学院で発達について学び、古今東西の学術的なエビデンスや経験から確信を持つことができました。
インクルーシブな学習環境を実装するには
学びをこのようにシンプルに捉えると、通常学級でも同じスタイルのほうがよいのではないかと感じるようになりました。習熟差のある子どもたちが、自分の成長に最適化できる教室。その中では、落ち着きがなかろうが、日本語が話せなかろうが、発達が早かろうが、同じ時間・空間で学べるイメージを持つことができました。
それが、拙著にもある「自由進度学習」の実践です。特別支援学校での実践を例に出すと「1学級6人程度という少人数だからできるのだろう」とよく言われます。確かに、人手が多いとそれだけ柔軟に対応できることは事実でしょう。しかし私は、普通学校でも、テクノロジーの力を借りれば十分可能だろうと考えました。AIドリルや動画教材を活用しながら、それぞれの子の進捗把握やコメント、評価を行っていく授業設計。私はこのようなインクルーシブ学習環境を実装するために、特別支援学校から再び普通学校に異動し、4年間実証を積み重ねてきました。