
明治以来、150年以上変わらない授業形態
「自由進度学習」という言葉を耳にしたことはありますか? 近年、文部科学省が勧める「個別最適化された学び」の一形態としても検討されている授業法です※。
公立小学校での実践事例も聞かれるようになってきました。
皆さんは「小学校の授業」と聞くと、どんな情景を思い浮かべるでしょうか。教室に整然と並べられた机といす、黒板の前には教師がチョークを片手に問題を出し、子どもたちは挙手して教師に当ててもらうのを姿勢正しく待っている――。個人差こそあれ、大半の方がご自身の経験などから、こんなイメージを持っているのではないでしょうか。実はこの景色、学制が発布された150年前の明治時代から、ほとんど変わっていません。
私は小学生の子を持つ親でもありますが、周りの友人や知り合いの保護者、ネットではよくこんな声を耳にします。「子どもが小学校に入学して初めて授業参観に行ったら、自分の受けてきた教育とまったく変わっていなくて驚いた」。そう、学校は英語やプログラミングなど、内容こそ近年変化してきているものの、授業形態に関してはほとんど変わっていないのです。
※中央教育審議会初等中等教育分科会教育課程部会(第118回)議事録
一律一斉授業における教師の役割と、子どもたちのルール
では、なぜこのような一律一斉授業になっているのか、ここでは算数の授業を例に考えていきましょう。
子どもたちには1人1冊、教科書が配布されています。しかし、自力で読み解いて理解するのは難しい。そこで、教師が内容を補いながら解説し、子どもたちに理解させるという方略になりました。教師は、30人以上の子どもたちに1人で解説しなければなりません。ですので、国から決められた範囲を年間の授業時間で割り振り、なるべく多くの子がついてこられるようなスピードで進めていきます。
こうして決められたペースがあるので、すでに理解している子も先に進むことは許されません。一方で、一度では理解できなかったり、病気でお休みをしてしまったりした子も待つことはできず、かろうじて補習や宿題を出すのみになります。
解説方法に目を向けると、教師は黒板の文字と言葉で説明したり、問いを発したりします。30人以上の子どもたちが自分のタイミングで質問したり、相談したり、問題を解き始めたりしてしまっては時間内に全員に伝え切れなくなってしまいます。
そこで子どもたちにはルールとして、話したいときには手を挙げて教師の許可を待つとか、友達との相談は教師が許可した時間のみとか、問題を解く時間や範囲は教師が指定した範囲のみといった授業規律が必要になっているのです。