前回は教師の働き方について書きました。そこでも話題に取り上げましたが、今回は職能開発=スキルアップについて書いてみます。
この7月に、教員免許更新制が廃止されることとなりました。実は私自身は、公教育現場に14年いましたが、在職中に複数の教員免許を取得した事情もあって免許更新を受けたことはありません。
あくまで私の周りの現場での話ではありますが、それでも30時間以上の講習による勤務時間の圧迫は、ほとんど有給休暇を取れない今の学校現場にとっては、かなり厳しいものだと感じました。また、受講者数の多さから魅力的な研修はすぐ満席になってしまい、興味のないものでも受講しなければならなくなってしまうシステム上の問題や、3万円以上の費用を自己負担する仕組みなど、当初から多くの教員を悩ませてきた印象があります。
「教員のスキルアップにつながらない学び」なんてあるのか
今回、教員免許更新講習に代わる形で「教員の研修履歴管理システム」が導入されました。これは、教員免許更新講習の廃止に伴う教員の資質低下を不安視する世間の声に応えるためのものと考えてよいでしょう。校内外やオンラインで受けた教員研修の履歴を一元的に記録、管理する仕組みで、内容は「学校管理職との対話により決定する」そうです。
一般的にあまり知られていませんが、日本の公立学校教員は海外に比べ、学校全体としての研究や研修を多く行っているといわれています。学校内の教員同士で授業を見合って議論する「校内研究」や、地域のほかの学校教員と教科などに絞って研究を深める「地区教育研究会」などを行っており、研鑽し合う職員文化は海外からも注目されています。
それ以外でも、夏季休暇中などにいわゆる“官制研修”に申し込んで研鑽を積む教員も多いです。これらのすでに行っているような取り組みを認め、ICTを活用して自動的に履歴として残すのであればまだわかりますが、これ以外に追加で研修を求めたり、研修履歴を管理する負担が増えるだけであれば悪手としか言いようがありません。現場の多忙感を無視した形だけの制度になってしまうでしょう。
併せて考えたいのは、「教員のスキルアップにつながらない学び」なんてあるのかということです。教育とは、手法や環境が整っていれば成立するような単純なものではありません。教える側の総合的な人間力が大きく影響される相互行為です。もしそれが必要ないというなら、もはや学校はデジタルだけ、教師は全員AIでよいことになってしまうでしょう。
総合的な人間力はさまざまな経験によって培われる
私は普段から、教育界以外のところからも積極的に学ぶように心がけています。経済情報を得ては「このテーマはクラスの子どもたちと考えてみたいな」と思うし、ドキュメンタリーを見ては「自分は教師としてどうありたいのかな」と考え、子どもたちに話すこともあります。
スポーツや社会人教育など学校以外の教育に触れて「これは学校にも使えそうだな」とか、漫画やアニメから「今の子たちはこんなことに興味があるんだ」「これは例え話に使えそうだな」など、多種多様なジャンルを自分の授業や学級経営と結び付けて考えています。
さまざまなジャンルを学ぶ中で、改めて「学校教育」を俯瞰的に見られるとともに、自分自身のこれまでの常識を疑う視点が立ち現れてきます。私たち教師は、教育界の内部からのみ学ぶ割合が極端に高すぎるように感じます。
6歳で小学校に入学し、大学を出てすぐに教師になり、60歳まで勤めあげるとすると、実に55年も学校教育の中にいるわけです。プライベートの友人や家族もほとんどが学校関係者、というケースも多いでしょう。学生時代の先生や同僚の先輩教員から学んだことを忠実にやり続けているだけは、いつまで経っても教育はアップデートされませんよね。
これは実際にあった話ですが、管理職でもSDGsやウェルビーイングという言葉自体を聞いたことがないということがあります。ほかの職業ならまだしも、未来を生きる子どもたちの大事な時間を預かる私たちが、今の社会のことを知らないのはさすがにまずいのではないでしょうか。
総合的な人間力は、さまざまな経験によって培われていきます。映画や小説から知識・アイデアを得ることは多いし、スポーツからヒントをもらうこともあるでしょう。反対に、どれだけ具体的な実践事例や発達心理学を受講していようとも、「自分には関係ない」とか「どうせ無理」「ポイントを稼ぐため」などといった気持ちでは、残念ながら教師力にはつながらないのではないでしょうか。
もちろん、スキルアップは大切です。スキルアップを決定づけるのは、何をやるかではなく、研修中に「自分の教育活動に生かすならどうするか」という視点を持ち続けられるかどうかだと思うのです。
これまでの学校教育で積み上げられてきた輝かしい実践や英知の数々を蔑ろにするわけではありません。むしろこれまでの学校教育の中で、先駆者が築き上げてきた授業実践や学級経営をクリティカルに捉えなおし、新たな実践の創造に挑戦していく。それこそが、これからの時代に求められる教師像といえるのではないでしょうか。
(注記のない写真: yoshan / PIXTA)