「ソ連なし」を求め闘ったある反共産主義者の生涯
評者/法政大学名誉教授 川成 洋
「懸念や狼狽の跡を全く残さず、煮えたぎる戦争の大釜の中にずるずると落ちた」(開戦時の英蔵相ロイド・ジョージ)欧州諸国は、1000万超の戦死者を出した第1次世界大戦を1918年11月に終結させた。
戦勝国の英仏は、ロシア革命で誕生したソ連の影響を封じ込めるため、滅亡したドイツ、ロシア、オーストリア=ハンガリー、オスマントルコの4帝国の跡に次々と新国家を誕生させる。防波堤としての役割を期待して、だ。
その一環として、オスマントルコを除く3帝国に国土を分割支配されていたポーランドも123年ぶりに独立国として復活する。国内統合、失業者対策、国境線の確保など難問の山積に呻吟する一方、初期のものとはいえ、軍参謀本部は解読不可能とされていた独軍の「エニグマ」暗号機の解読に成功、脆弱な戦力を補完したりしている。
ところが39年9月、独ソ両軍に挟撃されて政府はロンドンへ亡命、国土は再び分割占領の憂き目にあう。第2次世界大戦が終結した時には共産主義者が国民を抑圧するソ連の衛星国となっていた。
本書は、画家、ジャーナリスト、政治家、参謀情報部指揮官などさまざまな顔を持つヘンリク・ユゼフスキという知識人の軌跡を通して、こうしたポーランドの悲惨な歴史を詳(つまび)らかにしている。それは、ユゼフスキが目指す、反共産主義で、周辺民族を包摂する多民族国家の実現可能性が減衰していく過程でもあった。
祖国が侵略されると同時に、ユゼフスキは反独、反ソ抵抗運動に専念するために、決然と地下に潜る。国民を鼓舞する非合法の新聞を発行し、亡命政府や連合国政府との交信を続けた。ユゼフスキの詳細な国内情報は、英MI6や米OSSなどの各国情報部、亡命した愛国的秘密組織にとって極めて有用なものだった。
戦後、名だたる反共主義者だったユゼフスキは、共産党政権から執拗に追われる。それでも10種類の偽名と偽身分証明書を駆使し、果敢に抵抗運動を続けたため、殺害命令が下された。
支援する地下組織もほぼ潰滅状態になり、53年3月、ユゼフスキはついに逮捕され、14年に及ぶ「秘密の戦争」に終止符が打たれた。裁判の判決は終身刑だったが、56年に保釈され、それ以降は画家としてアトリエに戻る。
ポーランドに最初の自由労組「連帯」が誕生した80年の翌年、ユゼフスキは88歳の不屈の生涯を閉じる。命懸けで希求してきた「ソ連なき東欧」はすぐそこに来ていた。
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