アゼルバイジャンとアルメニアの関係が緊張している。9月27日に旧ソ連のアゼルバイジャンからの独立を主張するナゴルノ・カラバフ自治州周辺で、アゼルバイジャン軍と同自治州に駐留する隣国のアルメニア軍が激しく衝突し、10月10日時点で約400人の死者と多数の負傷者を出した。その後も戦闘が続いている。この問題は、北方領土交渉にも影響を与える。これについて理解してもらうために、歴史的経緯を説明する。
アゼルバイジャンに属するナゴルノ・カラバフ自治州は、アルメニア系住民が多数を占めている。自治州はアゼルバイジャン内にあるアルメニア人の飛び地だ。ソ連時代の1987年に、同自治州の住民がアゼルバイジャンからアルメニアへの帰属替えを要求したのをきっかけに深刻な民族抗争が発生し、両国のナショナリズムが高揚した。同自治州のアルメニア系住民は、91年12月にソ連が崩壊する過程でアゼルバイジャンからの独立を宣言したため戦闘が本格化し、約3万人とされる犠牲者を出して94年に停戦合意が成立した。軍事的にはアルメニアが優勢で、ナゴルノ・カラバフ自治州のほぼ全域を実効支配し、アルメニアと自治州をつなげるために一部のアゼルバイジャン領をも占領している。ナゴルノ・カラバフ自治州とアルメニアが占領したアゼルバイジャン領では民族浄化が行われ、アゼルバイジャン系住民は追放されて今日に至っている。これに対抗して、アゼルバイジャンの飛び地でアルメニアとイランに挟まれたナヒチェヴァン自治共和国では、アゼルバイジャン人がアルメニア人を追放し、民族浄化が行われた。
この記事は有料会員限定です。
東洋経済オンライン有料会員にご登録頂くと、週刊東洋経済のバックナンバーやオリジナル記事などが読み放題でご利用頂けます。
- 週刊東洋経済のバックナンバー(PDF版)約1,000冊が読み放題
- 東洋経済のオリジナル記事1,000本以上が読み放題
- おすすめ情報をメルマガでお届け
- 限定セミナーにご招待
無料会員登録はこちら
ログインはこちら