美化される戦争の記憶、その仕組みを緻密に実証
評者/福井県立大学名誉教授 中沢孝夫
死者は生者の記憶の中に存在するが、その記憶は生者に都合よく書き換えられることがよくわかる本だ。特に集団の記憶はそのようだ。戦後75年、戦争の現実を知る人が減り、語り部自体が継承されるようになると、語られる中身の変容を招く。
靖国神社、千鳥ヶ淵、広島、長崎、摩文仁(まぶに)、知覧そして各種の慰霊祭など「記憶の場」の誕生から変容をたどり、かつ映画や小説、各時代の代表的言論を点検しつつ、「記憶の力学」を綿密に実証する。
例えば、知覧の特攻出撃に関する“記憶の作られ方”は、死者たちを美化し、「志願を強いた」軍の組織的暴力を不問に付すものだった。事実を明らかにすると、特攻隊員の死が、神聖どころか無駄だったことがはっきりするのだ。集団の記憶に大切なのは無難さであり、組織犯罪とその中心人物の明確化ではない。
あるいは「平和主義者の独善」としての原水禁世界大会。また、いずれも市民の反対の声を押し切った原爆ドームの保存や被災した浦上天主堂の解体の経過などを読んでいると、反戦や平和を語る人たちは、なんとまあ多くの事実を抽象化していることか。
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