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ビジネス #電機の試練

振り返るべき山下改革の神髄 見つめていたのは「人」

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末席取締役から社長になった山下。松下家と縁戚ではなく、学歴は旧制工業学校卒だった(撮影:豊永邦男)

日本の電子産業の生産額がピークをつけたのは、2000年の26兆円だった。それが18年は11.6兆円に転げ落ちている。

振り返れば、1990年ごろが転換点だった。生産額は91年まで上昇し、25兆円となった。翌年反落し、ジグザグ運動に移行した。当時の製造業は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と絶賛されていた。自足し、内向きになり、変わろうとする意志を失った。絶頂期が危機の時だった。

あたかも危機の時の到来を予感していたように、激しく勇敢に変わろうとしたリーダーがいた。77〜86年に松下電器産業(現パナソニック)社長を務めた山下俊彦である。

「滅びゆくものの最大の原因はおごりだ」と山下は言った。そして家電王国だった同社の、総合エレクトロニクス企業への大転換を図った。

3年半で非家電(ファクトリーオートメーション、半導体など)比率を40%に引き上げることを必達目標とした。当時の非家電比率は31%前後。松下の売り上げは2兆円を超えており、構成比を10%近く引き上げるには、すさまじいエネルギーが要る。

スローガンとして「構造転換」と「体質強化」を掲げた。構造転換は新たな分野に踏み出し、成長を加速すること。体質強化は小さいままであり続けること。小さいまま巨大になろうと号令した。決然とした「パラドックス経営」だ。

本社の権力の下、聖域の事業部再編に踏み切った。構造改革計画の初年度、ラジオ事業部と録音機事業部を合体し、翌年にはテレビ事業部と藤沢テレビ事業部を統合・再編した。モーター、調理家電部門の事業部も整理・統合した。再編によって新たな経営資源を生み出し、それを構造転換に投入。事業部制を部分修正し、本社の意思を貫徹する。

その一方、本社の権力を削り続ける。山下は「本社はなくしてしまえ」と言い続けた。85年、テレビ、ビデオ、音響、電化の4本部を設立して本社機能を移管し、本社の人数をばっさり削った。本社の権力も厳しく抑制した。

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