週刊東洋経済は2020年11月15日に125年の節目を迎える。そこで諸先輩が築き上げたアーカイブの森を訪ね、その森に迷うことを楽しみながら新しい時代について考える連載として、「覧古考新」を開始した。
「125」という数字は大隈重信が人間が本来もっている寿命と考えた数字。早稲田大学大隈講堂はそれにちなんで125尺の高さだ。「125」はやや区切りが悪いように感じるかもしれないが、特別な意味を持つ数字なのである。
長寿を夢見て長期的な視点で経営を行った代表的な経営者は、経営の神様として知られる松下電器産業(現在のパナソニック)の創業者である松下幸之助氏である。
アーカイブを紐解くと、幸之助氏への単独インタビューや対談企画は数十回に及んでいる。今後、そのいくつかを本連載では紹介していくが、まずは昭和28(1953)年のインタビュー「一介の電工から松下電器を築き上げるまで」を紹介したい。
本インタビューの時点で幸之助氏は58歳。戦争が終わって8年を経過し急拡大期にある中で、昭和2年の恐慌でも人を切らなかったこと、住友銀行と取引を始めた経緯、戦後に財閥指定をされて苦労をしたことなど、昔話を軽妙に語っている。
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