53歳という若さで社長に就任して10年。世界最大級の自動車メーカーを率いる「豊田章男」の実像は、どれだけ知られているだろうか。創業家の御曹司であるが故の葛藤、巨大企業の針路を決める重圧。知られざる逸話の数々から、その心象風景まで映し出す。第1回は、青年期の課長時代まで──。
豊田章男の周囲には、生まれたときから、当然のようにクルマがあった。
「自転車で近所中を駆け回っていた子供時代。父にドライブに連れていってもらうことが大好きな子供でした」と、彼は語っている。
その頃の章男の「将来の夢」は、タクシードライバー。父・章一郎の会社について明確な認識はなく、「毎日いろんなクルマに乗って帰ってくるなぁ」と思う程度だった。
章男は、1956年5月3日に名古屋市で生まれ、現在62歳である。中学時代まで地元で過ごした後、東京に移り、慶応義塾高等学校を経て、75年に慶応大学法学部に進学した。在学中はホッケー部に所属。俊足で鳴らし、日本代表に選出されてアジア大会にも出場した。日本がボイコットした80年のモスクワオリンピックのホッケーチームの候補選手だった。根っからの体育会系である。
運転免許は、18歳になるとすぐに取得した。仮免許試験の実技で脱輪し、一度は失敗した。免許取得直後、クルマを運転していて自宅の前でひっくり返った。驚いた章一郎が病院へ駆けつけたところ、もういないと言われた。一瞬、死んだのかと思ったら、家に帰っていたという。
初めてのクルマは、トヨタ「コロナ」で、「学生のときにおばあちゃんが買ってくれた。『超お坊ちゃん』だったからね」と、語っている。本当は「セリカ」が欲しかったが、言い出せなかった。社会人になってから、自分のおカネで中古の「カローラ」を手に入れた。
卒業後は、米バブソン大学経営大学院に留学する。投資顧問会社のスパークス・グループ創業者、阿部修平とは、留学当時からの付き合いで、気心の知れた仲だ。MBA(経営学修士)取得後は、米国に残り、投資銀行エー・ジー・ベッカー&コーに2年間勤務。その後、84年に帰国し、トヨタ自動車に入社した。
章男は、章一郎から「トヨタに入社しろ」「社長になれ」と言われたことは一度もない。試験を受けてトヨタに採用された。言ってみれば『転職』したのである。
「目いっぱい叱られたことはあるか」「ありません」
配属されたのは、元町工場工務部日程課だ。「工場勤務から始めさせてほしい」と、当時社長だった章一郎に頼み込んだ結果である。章男の上司は、後に技術職の最高位といわれる技監を務めた林南八だった。章男を預かる際、上司からまず「工場をご案内しろ」と言われた。
「新入社員のくせに、何が『ご案内』だ!」と、憤った林は、章男に尋ねた。
「君、目いっぱい叱られたことはあるか」
「ありません」
「それは不幸なことだ。幸せにしてやるから覚悟しとけ!」
林は、怒ると平気で灰皿を投げるような激しい人柄で、遠慮なく章男を叱り飛ばして教育した。
あるとき、章男が担当する生産ラインの部品が足りなくなった。このままでは、それこそラインがストップする。彼は夜8時ごろ、林の元に相談に行った。
「どうしたらいいでしょうか」
「こんなときこそ、何とかするのが工務部だろう! 自分で何とかしろ!」
章男は、突き放された。
考えた末、彼は、信じられない行動に出た。一人で部品メーカーの工場に赴いたのだ。別の部下からそれを聞いた林は、血の気が引いた。
「何で行かせた! 社長の息子に何かあったらどうする!」と、部下を怒鳴った。
工場は真っ暗で誰もいない。いたのは守衛だけ。章男は、守衛に事情を話したうえで、倉庫に案内してもらった。必要な部品を探し出し、『カンバン』(伝票)を置かず、名刺を1枚置いて持ち帰った。
待っていたのは、林の怒声だった。
「おまえ! 何やっとんだ、バカヤロウ!」
叱りつけたものの、「度胸の据わった男だな」と、林は内心、舌を巻いた。
その後、章男は、経理部、財務部を経験する。経理部時代の上司は、現トヨタ副社長でCFO(最高財務責任者)の小林耕士だ。章男と副社長の6人を含む現在の経営チーム『7人の侍』の一員で、トヨタの『大番頭』を自任する。
小林も、やはり厳しく章男を鍛えた。当時係長の章男は、すぐに社長になるわけではない。しかし、「その自覚を持っていない限りは、未来のトヨタ社長は務まらないぞ」と叱咤激励した。
小林耕士(トヨタ自動車取締役・副社長) 1948年生まれ。滋賀大学経済学部卒。72年トヨタ自動車工業入社。トヨタファイナンシャルサービス、デンソーへ出向後、同社副会長。2018年に異例の人事でCFO・副社長。同年から取締役。
90年、章男は、生産調査部に異動する。生産調査部は、TPS(トヨタ生産方式)を確立した大野耐一が、TPSの現場への浸透を目指して創設したセクションで、厳しいことで有名だった。章男は、生産調査部時代について、こう回想している。
「いろんな方から薫陶を受けましたが、いちばん学ばせていただいたのは、『現地現物の大切さ』です。仕事の中で『見てもいないのにいいかげんなことを言うな。必ず、現地現物で見て、確認してこい』と言われ続けました」
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