「軍国ファッショとの対決/反戦・平和貫き通す/牧口会長は獄死/“特高”監視下でも座談会」──。これは創価学会の機関紙・聖教新聞が1970年11月18日の創立40周年を機に始めた長期連載企画「創価学会四十年の歩み」第2回の見出しだ。太平洋戦争末期の43年7月、学会の前身である創価教育学会は治安維持法違反・不敬罪に問われ、初代会長の牧口常三郎(つねさぶろう)や戦後に第2代会長となった戸田甚一(通名・城外(じょうがい)、後に城聖(じょうせい))ら幹部が大量検挙されるという弾圧を受けた。翌年の11月18日に牧口は獄死。この壮絶な歴史こそが、学会が自ら強調してきた平和運動の原点だ。
しかし、そこに至る歴史的事実を丹念に調べると、実はかなり違った様相が浮かび上がる。獄死した牧口があくまで貫いたのは「天皇も凡夫(ぼんぷ)」とまで言い切った日蓮正宗への強烈な帰依であり、少なくとも反戦平和を声高に唱えてはおらず、むしろ黎明期には思想を弾圧する側と緊密な関係を築いていたのである。
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