モスクワの日本大使館で民族問題担当官を務めるうちに、どの有識者が信頼できるかについて、筆者なりの基準を作ることができた。この基準は、現在も筆者が情報を判断するときに役立っている。
まず、新聞の読み方だ。ソ連の新聞では1988年以降にグラースノスチ(公開性)政策が定着し、事実を隠蔽することが少なくなった。民族問題についても、さまざまな事件が報道されるようになった。その報道の内容が媒体ごとに異なるので、どう判断したらよいかがわからなくなった。
真理は具体的なので、アゼルバイジャンとアルメニアの間で起きたナゴルノ・カラバフ紛争について記す。アゼルバイジャンのナゴルノ・カラバフ自治州は、歴史的にアルメニア人の多い地域だった(1920年の国勢調査で94%、79年の国勢調査で74%がアルメニア人)。ゴルバチョフ・ソ連共産党書記長のペレストロイカ(改革)政策によって共産党の統制から外れた市民運動の可能性が生まれ、87年にナゴルノ・カラバフ自治州のアルメニア系住民のほとんどが同自治州のアルメニアへの帰属替えを要求する請願書に署名した。
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