2000年4月4日、モスクワにあるクレムリン宮殿の大統領応接室前のホールで鈴木宗男氏が筆者に「佐藤さん、緊張するな」と声をかけた。「ようやくここまで来ましたね。鈴木先生とモスクワで初めてお会いしてから9年になります。やっと大統領に会えます」と筆者は応答した。
筆者が1991年10月、エストニアのタリン空港で「毎年モスクワを1回、訪ねてきてください。10年後にロシアのトップに会うことができるようになります」と伝えてから8年6カ月後のことだ。00年3月26日のロシア大統領選挙で当選した後のプーチンにとって、初めて会う外国要人が鈴木氏だった。鈴木氏を特使として派遣した小渕恵三首相は脳梗塞で倒れ、再起不能の状態だった。鈴木氏は次期首相に内定していた森喜朗自民党幹事長と連絡を取り、5月29日前後に森氏がサンクトペテルブルクを訪れてプーチンと会談する段取りを整えた。
鈴木氏も筆者も、大きな仕事を終えて一安心した。北方領土問題の解決は首脳間の決断によってしかできない。それだから、森・プーチン会談の道筋を鈴木氏がつけたことを政府首脳や自民党幹部は歓迎すると思ったが、そうでもなかった。河野洋平外相、三塚博元外相、中曽根康弘元首相等に東郷和彦外務省欧州局長が鈴木・プーチン会談の内容を報告したが、皆、憮然としているという。東郷氏がけげんな顔をしているという話を川島裕外務事務次官に筆者がすると、川島氏は腕を組んで、
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