1つのツイートが善意によって拡散され、事態を大きく動かしました。さらに、終わったあとにそれを見た人々が余韻を語り合うところも含めて、「ネットはネガティブに使われがちだが、本来このように使っていくべきだろう」と痛感させられたのです。
コロナ禍で求められる柔軟な対応
両校球児たちのさわやかな姿は称えられるべきものですが、事の発端は大人たちの杓子定規な対応によるものでした。
試合を翌朝9時に控えた16日深夜に学校関係者1人の感染が発覚。17日朝7時ごろ、学校独自に抗原検査キットで検査を行い、部員全員が陰性だったものの、「医療機関での検査でないため安全性を保てない」「朝の試合であり医療機関で証明する時間がない」という理由から出場辞退を余儀なくされました。
しかし、部員に濃厚接触者がいなかったことに加えて、同校の嘆願書、西村主将のツイッター拡散、さらに加藤勝信内閣官房長官から出場機会の確保を要請された鳥取県高野連は不戦敗を取り消しました。
大人たちの中に、「表面上のルールにとらわれて柔軟な対応ができない」「自分たちに責任が及ぶことを恐れて動こうとしない」「そもそも球児たちの夢や思いを重く受け止めていない」という人がいたことは間違いないでしょう。とりわけ高野連は組織としてのあり方を問われる苦境を招いてしまいました。
コロナ禍という初めての事態が続いている以上、1つ1つのルールが正しいとは言い切れないはずであり、安全を確保するのはもちろん、きめ細かい対応が求められていることは明らかです。高校野球に限らず、私たちの仕事や生活にも当てはまりそうな事例だけに、やはりツイッターなどのネットツールを有効活用して危機を乗り越えていく、たくましさや行動力が求められているのではないでしょうか。
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