「スタンド・バイ・ミー」は駄作扱いだった衝撃事実 「当たるはずがない」と多くの会社が配給拒否

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そんな彼らの努力が実って、身銭を切ったリアはコロンビアから返金を受け、映画は全米16館という限定規模で公開されることとなった。成績は好調。2週間後には上映館は745館に拡大し、ランキングでは2位を獲得。その後、848館にまで増え、最終的にはアメリカだけで5200万ドルを売り上げるまでになる。

750万ドルの元手で作られたインディーズ映画にしたら、これは快挙だ。さらに翌年の1987年3月にはアカデミー賞の脚本部門で候補入り。ライナーは監督組合賞の新人監督部門にノミネートされ、その後は『恋人たちの予感』『ミザリー』『ア・フュー・グッドメン』『アメリカン・プレジデント』など数多くのヒット作を手がけていくことになった。

主演のフェニックスは1993年に死去

一方、主演のフェニックスは、この2年後に『旅立ちの時』でアカデミー賞助演男優部門に候補入り。その翌年には『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』で若き日のインディ・ジョーンズを演じ、1993年のハロウィンにドラッグ過剰摂取で悲劇的な死を遂げるまで、成功への階段を着々と駆け上っていった。

もしリアが自腹で750万ドルを出してくれなかったら、もし完成後に強引なことで知られるオーヴィッツがその強引さを発揮してくれなかったら、映画『スタンド・バイ・ミー』は生まれなかったかもしれない。

ところでもうひとつ興味深いことに、この映画の監督には最初、エイドリアン・ラインが決まっていた。だが、『ナインハーフ』を完成させたばかりだったラインは休みたい気分だったため、ライナーにチャンスが訪れることになったのである。

『危険な情事』『幸福の条件』『運命の女』など主に大人のセクシーなスリラーを得意とするラインが監督していたら、『スタンド・バイ・ミー』はどんな映画になっていたのだろうか。時に、映画は、その中身と同じくらい裏側も面白いものなのである。

猿渡 由紀 L.A.在住映画ジャーナリスト

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さるわたり ゆき / Yuki Saruwatari

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒業。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場リポート記事、ハリウッド事情のコラムを、『シュプール』『ハーパース バザー日本版』『バイラ』『週刊SPA!』『Movie ぴあ』『キネマ旬報』のほか、雑誌や新聞、Yahoo、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。

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