意外と古い、都内にある「新」が付く駅の歴史 既存駅の知名度か独自路線か…難しい駅の命名

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地下鉄や私鉄まで範囲を広げると、新の付く駅名は数限りなくあるので、一部の紹介にとどめたい。

地名にもともと新が入っていた駅名としては、東京メトロ有楽町線の新富町、東武鉄道伊勢崎線の西新井、西武鉄道新宿線の新井薬師前、東急電鉄田園都市線の桜新町、東急多摩川線の武蔵新田などがある。

新富町はその昔、この地域に新島原遊郭があったが、移転で跡地の再開発をすることになり、この名が与えられた。大富町という場所に隣接していた、新島原と大富町からひと文字ずつ取ったという2つの説がある。

西新井駅と東武大師線(筆者撮影)

新井や新町は新橋や新宿と同じような命名法で、新しい井戸、新しい町のことだ。西新井は弘法大師(空海)が西新井大師總持寺を訪れた際、本堂の西にあった井戸から水が涌き出し、その水を飲んだ人々が病を癒やしたという言い伝えによるもので、近くに新井や東新井という地名はない。

例外的なのが東急多摩川線の武蔵新田で、新しい田の意味ではなく人名だ。鎌倉幕府を滅ぼした新田義貞の次男、新田義興が近くを流れる多摩川の矢口の渡で非業の最期を遂げたあと、近所に毎晩光り物が現れ人々を悩ませたので、御霊を鎮めるために新田大明神として奉斎したのが始まりで、今も新田神社の最寄駅となっている。

馬場駅がないのに新馬場

新+既存駅名の中では、京浜急行電鉄の新馬場駅が特筆できる。もとになる馬場駅が存在しないからである。

京急電鉄の新馬場駅。もとになる馬場駅はない(筆者撮影)

この地域には、北品川宿および南品川宿の馬場があったことに由来する北馬場駅と南馬場駅があったが、高架化にともない駅を統合することになり、新馬場になった。単に馬場とするのは由緒正しくないし、山手線の高田馬場との差別化を図る意味もあったであろう。

わずかに東京から神奈川県へ出てしまうが、東急電鉄東横線の新丸子駅も、新のない丸子駅が存在しない。こちらは都内にある東急多摩川線沼部駅が当初、丸子駅を名乗っていたためだ。同路線には下丸子駅もあり、どちらの駅にも「当駅は〇丸子駅です」という表示を掲げて誤降車を防止している。

理想をいえば新や東西南北を付けない、独立した地名の駅名のほうが間違いは起こりにくそうだが、知名度がいまひとつの地名を登用すると、今度はどの地域に位置する駅かピンとこないこともある。駅に限らず、名前を付けるのはやはり難しいことを痛感する。

森口 将之 モビリティジャーナリスト

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もりぐち まさゆき / Masayuki Moriguchi

1962年生まれ。モビリティジャーナリスト。移動や都市という視点から自動車や公共交通を取材。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。著書に『富山から拡がる交通革命』(交通新聞社新書)。

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