はいだしょうこ「私を変えてくれた」歌と恩師 「うたのおねえさん」が好きなことを見つけた日

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南川先生は生徒によって教え方を変えていたそうだ。そして、はいださんには厳しかった。

「でも、それは生徒一人ひとりをきちんと見て、それぞれの個性を大切にしながら、どうすれば次のステージに上げられるかを考えて、道をつくってくださっていたからなんですね。これができたら次はこれというように、目の前に課題を提示してくれる。それが道しるべとなって、気づけば思ってもいなかったところにまで到達していました。それまでは、歌を歌うことに楽しさしか感じていなかったのですが、歌を通して私ができることは何か、と考えるようになったのもこの頃です」

宝塚音楽学校を辞めたいという私に、母がかけた言葉

宝塚では、娘役として活躍。選ばれた人だけが務めることのできるエトワールの評価も高かった。しかし宝塚音楽学校時代はつらくて、もう辞めたいと思ったことも何度もあったという。

「もう辞めたいと、泣きながら母に電話をしたことは何度もありました。最初は母も、『せっかく夢だった宝塚に入れたのに、そんなにすぐ辞めちゃうの?』となだめてくれていて。でもある時、『うん、いいよ。帰っておいで』と言われたことがあったんです。その時、私がこれだけ歌やダンスの練習を頑張ってきたのは、誰かに強要されたわけじゃなくて、自分でやりたいと思ったからだな、と改めて思い直すことができました」

宝塚の舞台に立つのが夢で、自分が始めたことなのだから、逃げるべきじゃないと思ったはいださん。そこからは前だけを見て進んだ。

「後から聞いた話なのですが、母は私の性格がよくわかっていたので、あえてそういう言い方をしたそうです。その後も、くじけそうになることもありましたが、そのたびに、自分が好きで始めたことなんだからと、自分自身で原点に戻り、踏みとどまって、宝塚での目標を達成するまで続けることができました」

そうして、はいださんは宝塚を退団してすぐに、第19代NHK「うたのおねえさん」オーディションに参加し、もう1つの夢をかなえることになる。

うたのおねえさんとして活動する中で、数えきれないほど多くの子どもたちと接してきた。スタジオに遊びに来るさまざまな子どもたちを見て気がついたことがあったという。

「スタジオに遊びに来てくれる子どもたちは本当に個性的で、いろいろなんですね。大人はすぐに子ども扱いしてしまいがちですが、子どもたち一人ひとりに気持ちがあって、性格もそれぞれ違う。すぐに輪に入れる子もいれば、時間をかけてゆっくり仲良くなって、最後の最後に信用してついてきてくれる子もいます」

普段と違う空間に圧倒され、表に出られないのはよくあること、と続けるはいださん。

「お母さんは『せっかく来てるんだから、出なさい』と、泣いている子どもの背中を押すんですね。私も大人なので、お母さんの気持ちもとてもよくわかるんです。でも、泣いて出られない子の気持ちをこっそり聞くと、実は『普段履いている靴じゃない靴を履いているから足が痛い』とか、『きゅっと結ばれた髪が痛いから嫌だ』と、話してくれることもあって。すべてではないですが、ぐずっているのにも彼らなりの理由があるんだなあと感じた瞬間でした」

そんな経験から、子どもたちと過ごすときは、一緒に遊びながら一人ひとりをよく観察し、それぞれが持っている色を見るように心がけていたという、はいださん。子どもたちが持っている個性を理解し、決して子ども扱いしない。自分自身も素直でいることで子どもたちが心を開いてくれることが多かったそうだ。

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