佐藤二朗「僕が入社1日で大手企業を辞めた訳」 スーツを着て演劇もする暗黒の20代を超えて

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こうなったら俳優に挑戦するしかないと思って、その後、2つ養成所に通いました。でも、現実は厳しくて劇団員になれませんでした。「僕には適性がないんだ」とショックに打ちひしがれ、やむなく広告会社に就職したんです。

あのころは俳優への気持ちを打ち消すことに必死でした。がむしゃらに働いたので、営業成績も悪くなかったんですけどね。

でも、ふとした瞬間に「俳優になる運命だ」と言っていた過去の自分がよぎるんです。何度もふり払うんだけど、どうやったって消せない。

俳優になるのがやっぱり運命

もうこれは「覚悟するしかない」と意を決し、仕事のかたわら27歳で「ちからわざ」という劇団を立ち上げたんです。スーツのまま稽古場に向かい、脚本・出演をこなす日々でした。

転機は31歳のとき、と語る佐藤さん(撮影:矢部朱希子)

転機が訪れたのは、31歳のときでした。会社も辞めバイト生活でしたが、劇団「自転車キンクリート」の舞台を観に来た演出家の堤幸彦さんが僕を気に入り、ドラマ『ブラックジャック』に医者Aという役で出演機会をいただいたんです。

出番自体はたったワンシーンだったんですけど、現事務所の社長が観てくれて、「なんだあいつは」と言って声をかけてくれました。それから少しずつに仕事をいただくようになって、現在に至るという感じです。

いや~本当に長かった。もうね、暗黒の20代(笑)。本当に不安でしかたなかったです。

――佐藤さんは俳優だけでなく、監督・脚本家としても活躍されています。佐藤さんご自身の強迫性障害の経験をもとに製作された映画 『memo』は印象的な作品でした。

佐藤二朗監督作品『memo』、韓英恵 主演(2008年)(写真:不登校新聞)

『memo』は、頭の中に浮かんだことをくり返しメモしてしまう強迫性障害を抱えた主人公が、いろんな人との出会いをきっかけに、自らの病と向き合う映画です。

映画のキャッチコピーは「闘わないよ、ただ生きてくから」であり、この言葉に共鳴する人も多いんです。

でも、正直な僕の気持ちを言うと、そうは言っても歯を食いしばって闘うことも必要だろ?ということを伝えたかったんです。監督が伝えたいことをしゃべっちゃうって、かっこ悪いんだけど(笑)。

苦しんでいる人に対して「闘いなさい」なんて言葉は厳禁ですし、闘わずに助けを求めたほうがいいです。でも、人間が歯を食いしばって「闘う」ことの価値はあると思っています。

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