そんな時代に出現したのが、ビデオテープとレンタルビデオ店だった。当時の台湾のレンタルビデオ店には、映画のほかに、日本の地上波テレビで放送された番組も録画されて貸し出されていた。その中でも高い人気を得たコンテンツはプロレスとアダルトビデオ(AV)、そして志村けんである。
リング上で死闘を繰り広げるプロレスラーに対して人々は喜怒哀楽をぶつけた。さらに、水しぶきが飛んだり、落ちてくるたらいに体を張って笑いを取ろうとするコントに、人々は腹の底から笑ったのだった。
中高年世代の中に残る志村さんの存在感
この3つのコンテンツに共通するのは、あまり高度な日本語力を必要としないことだ。しかし、人々の心を強く打つコンテンツは、喜怒哀楽がはっきりとしており、出演者が真剣勝負でぶつかるものではないだろうか。
その後、台湾社会ではケーブルテレビが発達してくる。台湾ではケーブルテレビのことを今でも「第四台」と言うことがあるが、これは合法な3チャンネルに次ぐ「4つめのチャンネル」という意味で、この時代の名残とも言うべきものだ。
ビデオは視聴したいときに貸し出しされていて手にできない可能性があるが、ケーブルテレビは30~40あるチャンネルの中から見たいときに見られるという利点が台湾社会で受け入れられた。
そのため、民主化前後の時代にレンタルビデオ店が担っていた社会的役割や影響が次第にケーブルテレビに移行し、人々はプロレス専門チャンネルや日本のバラエティー専門チャンネル、成人向けチャンネルを視聴する時代に移っていった。志村さんの番組についても、ビデオからケーブルテレビの専門チャンネルと発信元が変わりつつも、主要なキラーコンテンツとなり、台湾社会でもヒーローの1人になっていった。
ちなみに、2000年代に、日台間を結ぶ日本航空の子会社・日本アジア航空が台湾各地を紹介するCMに志村さんを起用し、日本における台湾の存在感を高め、それをみた台湾人も台湾のよさを再認識した。志村さんをキャスティングした理由は、これまで述べてきたような日台間での知名度の高さにほかならなかった。
志村さんが亡くなったことは本当に残念だ。だが、台湾での報道や社会の反応を見ると、今の台湾の中高年世代の中に、志村さんがいまだ色褪せずにしっかりと存在していることがわかる。志村さんが台湾社会に与えた影響と存在の大きさに改めて気づかされる。
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