村上春樹が「直木・芥川賞」を受賞できない理由 今年デビュー40周年迎える国民的作家の謎

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ベストセラーを連発することで芥川賞の資格がなくなるということはないが、この点も、3度、4度と候補歴を重ねた作家たちと春樹との、大きく異なっていたこととして付け加えておきたい。確かに芥川賞では、新人と見なされないと候補にも選ばれなくなるのだが、では直木賞のほうはどうだろうか。

直木賞は大衆文芸の賞であって、純文学を書いていた春樹が候補になるわけがない、と断定したくなるところだ。しかしそこまで直木賞は単純ではない。古今、純文学の書き手と目された中堅クラスの作家が、直木賞の候補に挙げられることは珍しくなく、井伏鱒二や小山いと子、檀一雄、梅崎春生などに受賞させるような直木賞が、村上春樹を候補にしたところで特別不思議ではないのだ。

大きく影響したと思われるのは、中央公論社の主催する谷崎潤一郎賞が、1985年『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』に贈られたことだった。

出版社が運営する文学賞のあいだには「この賞よりもあの賞のほうが格上」、ないしは「この賞を受賞していないと次にあの賞の対象にはならない」という緩やかな序列がある。

谷崎賞は純文学向けの賞だが、序列は純文学とエンターテインメント小説の分野でくっきり分かれているわけではなく、谷崎賞の格は、直木賞よりも明らかに上だと見られていた。春樹がまったく文学賞と無縁な活躍を続けていたら、いずれ直木賞が彼の作品を候補に選ぶ余地もあったかもしれない。そうならなかった理由は、ほかの賞が早々と春樹作品を評価したからだ。

チャンス逃した芥川賞、出る幕ない直木賞

つまり、芥川賞は選考委員にその後の文学の動向を見通す力がなかったせいで、賞を贈るチャンスを逃した。一方、ほかの文学賞が春樹作品を黙殺せず、顕彰機関としてきちんと役割を果たしたおかげで、直木賞の出る幕がなくなった、ということになる。

一つの賞が失敗をしでかしたとする。いくつかの賞が補完し合えば、文芸出版全体としての損失は少なくなる。……現在のように複数の賞が並立するときの理想的な形が、村上春樹の作家的な歩みの中で機能したのだ、と言っていいだろう。

一部の作家にのみ、立て続けに賞が集中するよりも、文学賞のあり方としては、よほど健全だ。春樹が芥川賞や直木賞をとらなかったこと。そこだけに注目しても始まらない。これを文学賞全般の一部として捉えれば、さまざまな作家に賞が贈られるように、さまざまな方針で文学賞が運営されることの重要性が、はっきりと見えてくるのだ。

川口 則弘 直木賞研究家

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かわぐち のりひろ / Norihiro Kawaguchi

1972年、東京都生まれ。筑波大学比較文化学類卒業。昼間は会社員として働きながら、趣味である「直木賞」研究にコツコツと没頭。2000年から、直木賞非公式WEBサイト「直木賞のすべて」を運営。さらに趣味が高じて「文学ではなく、大好きな文学賞」の研究範囲が拡大。「芥川賞のすべて・のようなもの」「文学賞の世界」のサイトまで運営。

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