上智大学が目指す「国際的な教養力」の本質 必要なのは「議論への貢献」「意思決定の質」

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――学生時代にはどんなことを学ぶべきだと思いますか?

長澤:専門という意味では、とても良い教育が日本で受けられると思うのですが、今はインプット偏重で、アウトプットの機会が少ないですね。これはわかりやすい理由があって、アウトプット型の授業は単位時間あたり学生に詰め込める量が激減するので、効率は良くない。しかし、将来的にはアウトプットの経験はより生きるんです。

ですから、インプット型教育の良さを残しつつ、アウトプット型の授業や学外でいろいろなことに挑戦できる機会を増やすのがいいですよね。大学時代の1年で勉強できる量は、社会人になったら10年かかるって言われています。アウトプットができる、試行錯誤ができる経験を積んでおいてほしいと思います。

曄道:やはり経験型の学びの場を経ると、自然とアウトプット型に本人が変わってきますよね。経験型の時に感じるのは「この課題を解決しないと」とか「こういう問題があるんだ」ということで、「ではどうすればいいのか」という発想になります。育てるものは知識の量ではなくて、知識の発揮の仕方だと思うんです。

日本人にはそのセンスが欠けているという指摘に関しては、大学にも反省すべきことがあると思っていますが、一方で、大学での学びにおける専門性の割合を下げてもいけない。体系的に学ぶことは自分がどう学ぶかを組み立てる練習の一つにもなっていますから。グローバル人材の育成を考えながら、知識の発揮をすることや専門性についても、大学は考え続ける必要がありますね。

長澤:過去に言われてきたグローバル人材としての定義である「英語ができる」とか「タフである」というのは成功者を表面的に見たらそうだっただけであり、核心になるのは「意思決定」ではないでしょうか。意思決定に国際通用性があるかどうかなんですよね。何か特徴的な意思決定があって「これって日本人が決めたんだよね」と見透かされているようではダメなんです。地理的、時間的な普遍性を持っていることが大前提で、それに加えてローカルの事情もきちんと知っていて、そのうえで意思決定するということです。

さらに、今後はグローバルリスクに対する理解と対応能力という素養を持っている必要があると思っています。これまでとは違い、環境問題や社会的な問題が国境をまたいで次から次へと出現し、それらは非常に複雑なものになっています。そうしたグローバルリスクへの素養を身につけていただきたいですね。

曄道:長澤さんには、来年からグローバルリスクへの対応力についての授業を持っていただきます。グローバルビジネスの最前線に立つ方の話はとても貴重で、高度な教養科目になるでしょう。しかも、すべての学部が一つのキャンパスにある上智だからこそ、こうした授業を経営学や地域研究、工学などのさまざまな専攻の学生を集め、一緒に議論できる。これが大学の本質だと思っています。

教養はその時々に応じてつねに学び取っていくものです。総合大学として、専門性を軸にしつつ教養や実践力、あるいはのちに生きてくる経験値といったものを学生が在籍する4年間ずっと提供し続けたいと思っています。