上智大学が目指す「国際的な教養力」の本質 必要なのは「議論への貢献」「意思決定の質」

拡大
縮小

曄道:日本の「教養」という言葉の使われ方は少し特異ですよね。「物知り」といったような意味合いが強い。学生たちに教養の話をした時に、彼らがそれを情報と勘違いすることがあります。しかも、今の学生は情報が無尽蔵に詰まったスマホを持ち歩いているので、教養にあふれているという錯覚に陥りかねない。そういう時、大学の教育機関として「教養がどうあるべきか」「人材育成をどうあるべきか」ということをつねに自問自答しつつ、長澤さんのように実際の社会で働く方との対話も必要だと感じています。

大学は最後の学びの機会ではない

――国際的に通用する教養は、大学など教育機関で育てていけるものでしょうか?

MSCI
アジア太平洋地域業務執行委員、北アジア代表
長澤和哉
慶應義塾大学理工学部機械工学科卒。同理工学研究科修士課程修了後、明治生命保険(現:明治安田生命保険)入社。後にゴールドマン・サックス・アセット・マネジメントに転職し、計量投資戦略グループの日本責任者を務める。2012年MSCIに入社し、18年より現職。日本ファイナンス学会理事

長澤:過去20年にわたり、企業は多様性の確保に一生懸命取り組んできました。今日のグローバル社会は、環境変化の程度もスピードも非常に激しく、同じような人材だけだと変化に対応できずに破綻する可能性が高まってしまう。性別、国籍、キャリア、アカデミックな背景などにおいて、さまざまな人材を抱えておけば、幅広い強みがあるおかげで環境変化にも対応できます。

このような多様性に触れる体験を大学時代から積むことは大事でしょうね。学生さんの出身国の数が多いとか、教員がバラエティに富んでいるとか、同級生に社会人や研究者もいるとか。企業との接点もそうですよね。自分とは異なるバックグラウンドを持つ人たちと交流し、学び合うことで、教養とは何か、何が欠けているのかに気づくきっかけになると思います。

曄道:そういう意味で、上智は現在約80カ国から1500人を超える留学生がいますし、教員も15%強は外国籍です。そのほかにも海外で学位を取った教員も多いです。このような多様性に富んだ構成員が四谷のワンキャンパスに集うのは、本学の大きな特徴ですね。

ただ重要なのは、大学が学びの最終機会ではないということです。大学を卒業してもこれからずっと学び続けていく。これからの世代はおそらく50年近く学び続ける。個人も組織もです。教養もそうですし、専門性もですよね。そのような視点に立った教育を再構築していかないと、長澤さんがおっしゃる人材像には近づかないですね。

長澤:当社でも学ぶことは重視しています。どうやって学ぶですが、7割は職務を通じて、2割は視野を広げるための機会を積極的に会社が用意する。たとえば当社の場合、ファイナンス学会や米国証券アナリスト協会、ポートフォリオ理論フォーラムなどに会員権があり、月に1度くらいはその時々の第一人者の話を聞けます。そして、残りの1割は体系的な知識を身に付けるために勉強する。そうすることで日々の業務などを全体像の中に埋め込んでいけるのです。

学生時代からアウトプットの機会を

――上智大学では、人材育成プログラムにも力を入れているそうですが、大学ではどんな学びが理想だと考えていますか?

曄道:学びと同時に経験を積むことが必要だと思います。ある経験を積むことで何が必要か見えてくる部分がありますよね。グローバル社会の中では、その経験が自分自身を展望する拠り所にもなります。上智は今さまざまな機会を学生たちに与えるようにしています。アフリカに行って貧困の現実を知る、カンボジアやインドでボランティアをしながら現地の社会について学ぶ、その一方で国連本部に行って現役の職員からレクチャーを受ける、ワシントンDCで元米国務副長官とディスカッションしてくる――。

このようなチャレンジを通して、学生たちにはもがいてもがいて、何とか踏ん張ってほしい。実際、帰ってきてからその経験がどう生きるのかというと、正直言えば、それはわからない。ただ、学部や研究室で学ぶ専門性とそうした経験とが有機的に結合を図ることが理想なので、もがいて踏ん張った経験がある学生はやはり強いと思います。

次ページ「知識の発揮の仕方」を育てる
お問い合わせ
上智大学
連載「叡智が世界をつなぐ」