(第18回)阿久悠に見る「大人」へのこだわり
●「大人」へのこだわり
『昭和おもちゃ箱』から発せられる、阿久悠の"遺言"のようなメッセージのひとつに、いかにして「大人」になるかという、この時代にあっての難題があった。
昭和アイドル歌謡の市場開拓者でもあった阿久悠は、だがガキがガキのまま育って羞じない時代への苛立ちと嫌悪を隠そうとしなかった。それほど、大人へのこだわりをもった男だったのだ。
「ぼくらの社会は幸か不幸か、大人になるためのハードルのない時代で、個々がそれぞれに間近の大人の中から美意識を見つけ出して、全くの個人作業として大人への変態を行って来たのである。それが、ピーターパンがピーターパンダになり、シンデレラがシンデレランランになり、大人の美意識を完全になくしたために、その次の子どもたちは、なりたくても大人になれない迷い子になってしまっているのではないか」(『昭和おもちゃ箱』)
この指摘は重要である。
「大人になるためのハードル」は元来、国ではなく社会や地域共同体によって用意されていた。日本だけではない。大人になるための特別のハードルを設け、それを未成年者に超えさせることは、通過儀礼(イニシエーション)として、それぞれの国柄に応じて制度化されてきた。
ユダヤ人にとっての割礼なども、その肉体的ハードルのひとつ。日本の武家社会には元服という成人式があった。男子の幼名を廃し、ヘアスタイルを変え、刀を与えられ、めでたく大人の仲間入りを許されるわけだ。
近頃、成人式で大暴れする青年たちの振る舞いは、さしずめ大人になることを精神的に拒否する、典型的にガキのパフォーマンスということになる。悪ふざけをしても、まだ子どもだから許されるという、甘えの現れである。
●「大人になれない迷い子」の国
では日本は、いつから「大人になれない迷い子」の国になってしまったのか。
遠く歴史を遡ると、日本の敗戦直後、連合国最高司令官として厚木飛行場に降り立ったD・マッカーサーは、程なくして「日本人の精神年齢は12歳」という、有名な台詞を残している。
この言葉は、8歳で敗戦を体験した阿久悠の脳裏に、致命的に突き刺さっていた。マッカーサーの極度に差別的な発言は、文明人が未開人を見下す視線そのものである。
では、「未開」と「文明」を隔てる壁は、いったいどこにあるのか。
ひとことで言うと、生(き)のままであるか「洗練」されているかの違いである。
「自然」から少しでも遠ざかることが進歩、野性のままに洗練を欠いているのは未開の証で、「文明」の側に立った人間に、多分に独りよがりの優越感をもたらすのだ。窮乏に喘ぎ、物乞い同然の状態でアメリカの豊かさに屈服した日本人全体が、かの傲慢な職業軍人の眼に、文明的に幼い、哀れな12歳と映ったのである(その露骨な差別意識こそ、「大きな子ども」であるアメリカ人の未熟さの証なのだが)。
この"国辱"をしかと受け止めたのが、淡路島の少年・深田公之、後の作詞家・阿久悠だった。
少年期の彼を熱狂させた、野球も映画もハードボイルド小説も、すべてはアメリカにバカにされない、いっぱしの大人になるための手段だった。「鬼畜米英」を刷り込まれた皇国少年は、敗戦を機に大人たちがいかに無抵抗、無節操に敵に屈服したかを心に刻んだ。敗戦はそういう無数の少年たちの、社会的成長を促すきっかけともなったのだ。
「全くの個人作業として大人への変態を行って来た」
阿久悠がそう語る時、彼は「子ども」から「大人」への移行が、自然成長的な過程ではなく、「変態」(メタモルフォーズ)という生命体にとっての大いなる飛躍であることを知っていた。この危うくもある移行に失敗した子どもが、たとえば変態的な14歳の凶悪犯罪者になったりするのである。