6年間痴漢に遭い続けた女性が、今語る理由 フランスで被害体験を描いた「Tchikan」出版
勇気を出して、母親に相談したこともあった。が、彼女は別にたいしたことではない、というふうにこう返した。「あなたも悪いのよ、わかってる?」。彼女の態度が無意識に男性を引きつけているかもしれないと。また、佐々木さんが彼女の教師に打ち明けたときも、彼は男の性欲についてただ平凡な言葉を並べて説明するだけだった。
しかし、佐々木さんは苦しみ続けた。自殺を考えることもあるほど、何年間も惨めで、つらい思いをした。その後も、打ち明けることで起こりうる復讐に対する恐怖心、信じられる人がいないという気持ちから沈黙を保ち続けた。その彼女がなぜ、今になってフランスで出版する気持ちになったのだろうか。佐々木さんに聞く機会を得た。
クラスで最も多くの痴漢被害に遭っていた
――どうしてこの本を書こうと?
私は中高6年間、登校に電車を使っていましたが、ほぼ毎日痴漢のターゲットにされていました。同学年の生徒は6年間ほぼ同じメンバーだったので、時々お互いの痴漢被害について話すときがあったのですが、そのとき、私がクラスで最も多くの痴漢被害に遭っていたことがわかったのです。
私はそのことをもっと公にしたいと思っていましたが、初めて打ち明けたとき、学校の先生は何もしてくれず、 母親は「悪いのはあなたで、たいしたことはない」と言われました。その後、相手が誰であろうと私は自分の体験を伝えるのが怖くなってしまいました。
この本を書き上げるのに2年もの歳月を費やしました。しかし、最後までいったい何が問題だったのか、わからなかった。最後になってわかったのは、誰もが電車に痴漢がいることは知っていても、実態がそこまで酷い状況だと知らないことが問題なのだと気がつきました。
――1度も痴漢被害を報告したことはなかったのですか。
たった1度だけ、大学時代にあります。私は痴漢をした人の手をとり、駅員のところへ連れて行きました。しかし、そこでその人物に加え、駅員にも酷い扱いを受けたので、まるでこの件についてさらなる仕打ちを受けたような感覚でした。
まず、痴漢行為の詳細について、担当者である中年男性に事細かに話さなければなりませんでした。その後書き取り試験のように、彼の口述を書き取って書類を作成し、自分の名前を書いて拇印を押すのです。指に赤い朱肉が残り、まるで自分が罪人になったような気分でした。なので、その後は、触られても、2度と誰かに打ち明けることなく過ごしたのです。
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