全米が泣いた「日系アメリカ人議員」の正体 オバマケア撤廃反対を命懸けで呼びかけた

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1955年に、母親と兄弟とともにハワイに移住したヒロノ議員だが、母親が病弱だったため働けなくなり、医療費を払えなくなることにずっと不安を感じていたという。幸い同議員は無事に大学へ進学し、その後名門ジョージタウン大学のロースクールへと進んだ。

程なく政治家を志すようになったヒロノ議員は、1980年から1994年まで、ハワイ州議会で下院議員を務め、その後2002年までハワイ州の副知事を務めた。2002年には知事選で敗北したものの、米下院議員に再び当選。3期を務めた後、2013年には上院議員となった。

このとき、ヒロノ議員は、上院司法委員会の委員となり、多くの人を驚かせた。小さい州の新人議員が同委員会に入ることは極めて珍しいからだ。後に同議員は、米政権に対して非常に影響力のある軍事委員会の委員にも就く。ハワイ州は、米太平洋軍の司令部なので、軍事問題は同州にとって極めて重要。海軍や海兵隊を管轄するシーパワーの軍事小委員会の最高位の民主党員として、同議員の影響は、はるか沖縄にまで及んでいる。

定期検診でがんが見つかった

政治家としてキャリアを積んできたヒロノ議員が、自身ががんに冒されていることを知ったのは、今年5月のこと。定期検診で見つかった。翌日、同議員は選挙区にその旨を知らせ、ワシントンにあるジョージタウン医療センターで腎臓の摘出手術を受ける。が、がんはすでにほかの臓器にも転移しており、助骨を7インチのチタンプレートと取り替えるなどの治療が施された。

ヒロノ議員はこのとき、医師に自分があとどれくらい生きられるのかを尋ねたという。すると医師からは「まだ時間はある」という答え。その後、同議員はオバマ政権最大の功績の一つと考えているオバマケア撤廃を防ぐための取り組みを始め、ハワイ州でタウンホールミーティングを開催するように。ほかの民主党議員とも協力し、ポッドキャストを通じて共和党による改革案の危険性を示唆したり、既存システムを支えるための集会に参加したりしてきた。

ヒロノ議員は、27日の議会でも共和党議員たちに対して「私たち全員が医療危機から逃れるためには、1つの判断しかない」と主張。同氏は、やはり悪性脳腫瘍を押してこの日の議会に出席していたジョン・マケイン議員を名指しし、自らの良心に従って投票するように促した。

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